イベントストーリー

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NEWSに恋して」というアプリがある。去年リリースされて何度か挑戦して意味がよくわからずできないまま1年経ち、こういうことができないのは老化と、やっと心の障壁を乗り越え今年の2月くらいからできるようになった。唯一続いていたゲーム「どうぶつの森」をやる感覚で生活パターンに組み込んだので、現在も順調に続いている。できるようになったよ、と上の子に報告したら、「誰もそんなこと期待してない」と言われた。そうか。

知らない方のために説明すると、ゲームの種類としては「アドベンチャーゲーム」。メンバーを選び、提供される恋愛シナリオを読むのが目的のシンプルなゲームだ。条件分岐もほとんどない。でも読み進めるためにはファッションチェックという名前で何処かの誰かと所持品の得点を競ったり、有料のアイテムを買ったりしないといけない。読み終わったり条件が揃えばアバターをオシャレさせ強くするアイテム、もしくは、NEWS のメンバーのボイスや写真がプレゼントされたりする。課金すれば我慢を強いられず好き放題だってのは他のゲームと同様。

このアプリでは「本編」というメンバーそれぞれの長編ストーリーと、「イベントストーリー」という期間限定の短編ストーリーが提供される。イベントストーリーはNEWSメンバーが先輩だったり同僚だったり、お見合い相手だったりルームシェアの相手だったり、一緒に遊園地の戦隊ヒーローやってたり、いろんなパターンでの恋愛が始まり成就する。今年から始めた範囲でも、よくこんなに恋愛話のパターンが尽きないなと感心する。

正直やっぱり若い人向けのアプリだから、恋愛ストーリーを楽しむというよりは、どうぶつの森と同じようなモチベーションでやっているのは否めない。つまり、必要なことをやってミッションをクリアしコンプリートする、という感覚だ。まあ、ストーリーを読んでも、なんでこの主人公女子が好きになってもらえるのか全然ピンとこなかったり、ツボが違うなと思うことも多いけれど、違和感も含め楽しんでいる。こんなわかりやすい妄想がオフィシャルに供給されているというのがそもそも面白いし、それぞれのパブリックイメージから外れず大多数のファンが喜ぶストーリーを、ネタ切れすることなく書いているライターさんは凄いなと思う。読んだ範囲では、主人公が論理的な話し方をするところに高評価を与えているという点で、お見合い編呉服屋加藤君が良かった。あと、知的マニアック変人な雰囲気の学芸員加藤君と、ただ待ってる元彼で花屋の増田君も良かった。本編は加藤君を数回やってコンプリートしたので、今は小山君をやっているが、小山君の話は全体に優しくていいね。

NEWSに恋して」のあるあるなのかもしれないが、手越君のストーリーは、主人公の女子が手越君と出会った時にその顔の綺麗さに驚きがちだ。私はそんなストーリーを読むたびに、あることを思い出す。

遡ること7年前。チャンカパーナの初回限定盤4枚組セットに封入されていた応募券で当選した人が参加できる「集まれ!!!!チャンカパーナ」というイベントがあった。私は運良く大阪のとある回に当選した。未就学児 1人同行可だったので、当時4歳の下の子を盾にするように連れて行った。私は6人時代を後追いでしか知らないバリバリの新規ファンだったこともあり、右も左もわからない中での恐る恐るの参加だった。とにかく、私ごときがはしゃいではいけないと思っていた。

今から考えると奇跡のイベントだ。4人で再出発をしたばかりの彼らは、イベントの最後に参加者全員と握手をした。私は4歳児を左手で抱き抱えて列に並び、空いている右手で握手をさせてもらった。増田君、加藤君、小山君、手越君の順だ。

今でもはっきり覚えている。増田君がイメージよりかなり大きくて驚いたこと。加藤君が子どもに慣れてないなと思ったこと。小山君の番になった時に4歳児を片手で抱えきれなくなりあたふたしてしまい、小山君とちゃんと目を合わせた握手ができなかったこと。そしてラスト、手越君が腰を低くして丁寧に握手してくれたこと。

その時、私は手越君の顔をまじまじと至近距離で見た。そして思ったのだった。

「世の中に、こんな顔をした人がいるんだなあ」

初めて近づいて肉眼で見た手越君の顔は、顔立ちの彫りの深さや整い方が間近で見るにはオーバースペックすぎて、脳が処理できない。

10メートルくらい離れて見るのにちょうどいい顔立ちっていうのがあるんだなあ。」

そんなことを思ったのは後にも先にも手越君だけなのだった。

NEWSに恋して」のイベントストーリーで、手越君と出会った女子が顔立ちの綺麗さに驚くくだりを見る度、「そうだよな、驚くのはよくわかる」と思うし、逆にそのくだりがないストーリーにはリアリティを感じない。君はなんでそんな簡単にあの顔立ちを日常生活で受け入れられるのだ?

ところで、せっかくなので集まれ!!!!チャンカパーナでの件をもう少し書いておく。

私はあの時、加藤君にファンであることをどうしても伝えたいと思った。男性アイドルに強い思い入れを持つ経験が人生で初めてだったので、こんな私でも何か一言くらい声をかけてもいいのでは、と思ったのだ。

他の3人は4歳児の頭を躊躇することなく撫でてくれたけど、加藤君は少し違った。私が抱き抱えていた4歳児は手にイベント参加券をずっと持っていたのだが、その4 歳児の両手を取り「持っててくれてるの〜」と言って、手遊びをするように手を23度上下させた。

その後、私は加藤君と握手する番となり、その時与えられた時間で唯一噛まずに言えそうだった言葉を発した。それは、

「加藤さん、さいこーっす」

だった。そう、それが7年前の私の精一杯ですよ。

加藤君はそれに対して若干の硬さの残る表情で「本当ですか。ありがとうございます」と言ってくれた。あとで検索したところ、一般に握手会定番と言われる台詞なんですってね。でも頂けただけで嬉しいです。

7年分の思い入れが増した今の私なら4人になんと言えるかな。結局、さいこーっす、しか言えないかな。

私は楽曲派

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私の環境での話だけど、同世代のジャニーズファン(世間的にはジャニオタ)を名乗る人にほとんど会ったことがない。もちろん全くいなかったわけじゃない。下の子の保育園に嵐の相葉君のファンの保育士さんがいて、立ち話をしたことがある。数年前に職場の同じ建物に入っている会社の経理の人が櫻井君のファンで、職場の机にいろいろ飾っているという話を聞いたことがある。昔の職場の同期入社の女性が、退職後翼くんを追いかけて各所遠征していたと聞いた。熱量を感じたのはその3人くらいで、厳密には最後の人しか同世代じゃない。つまり、たった1人だ。あと、地元にいる実妹は関ジャニ∞と大倉君のファンでたまにファンクラブにも入っていたはずだが、割とあっさりしてるので除外。話は通じるんだけど。

以前の私がそうだったように、多くの人はいろんなジャンルの一つとして捉えている程度で、若いジャニーズは区別がつかないということをどことなく誇らしげに語る。時事ネタ、国際問題、歴史、漢字などとは違い、無知である方が知的な印象を与えるジャンルなんだろう。多分。私の家族(夫)などは心底毛嫌いしていて、私がNEWSにはまった時のショックは凄かったらしい。「そんな人だと思わなかった」と嫌悪感をはっきり伝えられ、最初のコンサートに強行した後は大げさでなく2週間不機嫌だった。理不尽すぎて、何もそこまでと思うし、差別的なものを感じる。

さて本題。

以前仕事で通っていた場所で、私はさまざまな職種の40〜50代女性が集っているグループに混ぜてもらい、昼食を取っていた。そこで私はいつしか「ジャニーズに詳しい人」という立ち位置になった。こんな、異様に声とテンションの低いメガネをかけた中年女性がジャニーズのコンサートに行っているのは意外に思われるようなので、私も彼女たちが納得しやすいように「娘たちと行っている」と説明した。「着席ブロックとかあって、家族で行く人多いですよ」などというと「チケットを取るのは大変ですか」などの定番の質問を受ける。本当に興味があるのか、話をつなぐためだけなのかわからない。でもせっかく聞かれたので、私はまるでよく知っている人のように解説をする。自分はジャニオタではなくてあくまでNEWSのファンでしかないとエクスキューズを挟みつつ、ジャニーズファン界隈の各種ルールや特別な用語、濃いファンの振る舞いについてなども教えていた。私が新鮮に感じて見てきたものごとは、そういう場の話題としては鉄板だった。

ある時、「私は昔から男女問わずアイドルの曲を聴くのが好きで、概ね楽曲派だった」というようなことを言ってみた事があった。それまでも仄めかしてはいたのだけれど誰もピンときていないのは感じていた。でもその日は「ジャニーズが好きなのに楽曲派というのは意外です」という直球の反応があったので、少しちゃんと説明してみようと思った。

ジャニーズの曲も結構面白いんですよ。まず基本的にある程度は売れることが見込めるからなのか、楽曲はしっかりしたものが集まるんです(ウーン、という顔をされる)まあ、そういう曲調が好きな人にとっては、ですが。あと、グループには歌のうまい子もそうでもない子もいろいろいますけど、基本的にファンサービスもあるのか全員が順番に歌う事が多いんですよ。そういうのってアイドル以外のジャンルにはあまりないじゃないですか。(たしかに、という反応)グループアイドルの曲ってそういう特有の面白さがあって。ただ、人数が多すぎると全員のユニゾンが増えて声を楽しむ面白さは減るんですが。

一番最初にNEWSのアルバムを聴いた時は、その声質のばらつきと、ハモリやユニゾンの声の組み合わせで聞こえてくる音の感じが全然違うのが面白くて興味を持ったんですよ。ファンサイトでパート割りを調べながら、素人ながら音声解析ソフトで波形を眺めてみてました。手越君(彼のことはみんなだいたい知っている)なんか倍音がよく見えて、(ここで倍音を知らない人に知っている人が説明してくれた)あ、手越君は歌える子なんですよ。声が高くて音程安定してて声量もあって、ハモリも正確で、NEWSの歌の要だと思ってます。(意外!という反応をうける)手越君と増田君ていう子が歌える子で、後の2人も声に特徴があっておもしろいんですよ。

その時説明できたのはこの程度だろうか。コヤシゲの声の魅力とか最近の楽曲の面白さとか、相手の知識を超えてあまりにも鼻息荒く語りすぎると説得力が無くなるのは経験上知っている。私の思うグループアイドルの曲の面白さは「個の声質もひとつの素材として仕上げられた音楽」であることを控えめにでも伝えたられたかなと思う。そういう聴き方もあるんだなと。もちろんアイドルを好きなポイントは人それぞれで、ダンスが揃っているのを見るのが好きな人にとっては、NEWSは全く向いていない。楽しみ方なんて人それぞれでいいと思うし、あくまで私個人の件。

以上、スカした感じで普段すごしていることがわかる話。楽曲派なんですよ〜なんて言いつつ、NEWSに関しては歌わない番組も手当たり次第録画してるし、雑誌もまあまあ買っていて8年分くらい溜まり続けている。本棚には、加藤さんの文章が載っている本がずらっと揃っている。コンサートの想い出のグッズやうちわも大切に保管してるし、ツイッターでしょっちゅう検索しては、常に彼らと彼らのファンの幸せを願っている。それは普通、楽曲派とは言わない。でも、楽曲派の次のステージに行けたのは貴重な経験だった。素直に、よかったなと思っている。

といっても、間違いなく今後も死ぬまでずっと楽曲派を名乗ってると思う。それが私。


平成最初の日のこと

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平成が終わって令和になるということで、テレビが特番などを組んだりグッズが売られていたりする。祭りっぽくて楽しげだ。一応、昭和から平成になった時も知っているので経験者ヅラして余裕ある感じで興味なさげにしてはいる。元号が変わることに伴っておかしなパッチの配布があって混乱しないといいですね、なんて、わかったようなことを言いつつ。

でも、先日職場でその「平成になった時にすでに大人だった件」を若い人と一種の自虐ネタのように話していた際、平成になった時自分が何をしていたか、といった話になり、咄嗟に「私は確かスキーに行っていた」と答えた。自分がスキー場で平成になったことを知らず滑っている光景が、一瞬脳裏に浮かんだからだった。

その場はそれで笑って終わったけれど、よく考えてみたらおかしい。

その日、私がスキーに行っているはずがない。なぜなら、【昭和6418日】の相撲の枡席のチケットを持っていたのだから。

私にとっての平成の幕開けは、「相撲にいけるのか?」「苦労して買ったこのチケットはどうなるのか?」と、ただひたすらハラハラしているもののはずなのだ。

昭和天皇崩御は結局昭和6417日で、18 日は平成元年になるとともに、大相撲は中止になった。初場所は一日遅れで開催され、私の持っていたチケットは 123日(月)に振り替えられた。図らずして私は、当初チケットが取れなかった千秋楽を見に行くことになった。

この話は、今まで何回話したかわからないくらいのエピソードであるのに、何故私は自分がスキーに行っていたと思ったのだろう?

あの時、ふと脳裏に浮かんだ「元号が変わったのを知らずにスキーをしている人のイメージ」をよく吟味すると、滑っているのは私でなくて、おそらく私があの頃仲良くしていた友人だ。私はそれを実際見たわけではなくその子にあったときに聞いて、一緒に笑ったのだと思う。そして、その時思い描いたイメージが、何故か強い記憶として刻まれたのだった。

私は、自分が相撲を見に行けるのかどうかだけを気にして、自宅のテレビの前で天皇陛下のご病状を見守っていたに違いない。新しい元号になるとか歴史が動くとか、それこそ昭和天皇を思いやるとかそういうレベルにはない。言いたいこともやりたいことも我慢しているような混乱・自粛・追悼ムードの中で元号が変わり、私の唯一の関心事の相撲のチケットは千秋楽に振り替えられ、言わないけど本音は少しラッキーに思った、という、そんな平成の幕開けだったはずだ。

だから、私はそんな自分より、自粛関係なくスキーを楽しんで世間が大騒ぎしてたことも気付かなかった、という、その友人らしいエピソードが好きすぎて、その中に自分も一緒に居たかったのかもしれない。

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ファン

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去年の暮れに小山君がエブリィを降板することが発表された時は喪失感があった。前も書いたように私は小山君のファンとは言えないのだけれど、選挙特番のような硬い番組に溶け込んでいる様子を録画で確認してニコニコしていたことなどを、寂しい気持ちで思い返していた。

去年、ぼんやり検索するとNEWSの悪口と小馬鹿にしたようなツイートばかりを拾うようになってしまった時期、私は対策として、キーワード検索をやめ、「人の悪口を言わない前向きで理性的な小山担」と感じた人たちのツイートを選んで読んでいた。

あの頃私は一連の出来事に納得できていなかったのだと思う。いろんな立場の人が軽い理解で「自業自得」程度のことをさらっと書いているのも見たくなかったし、ショッキングなネット記事の見出しをリツイートするファンも見たくなかった。有名ジャニオタと言われるカテゴリの人が、彼らの歌にからめたタイトルで、冷静に分析する風に彼らがいかに良くないかをブログに書いていたりするのを目にした時は、最悪なものを踏んだと思った。

もやもやとしていた。

彼らが好きすぎるためだろうか、私自身が責められているような気持ちでいた。遊びや職場を含め過去多くの飲み会に顔を出して色んな人を見て、全ては状況によると思っているところもあったので、厳しすぎる言葉や馬鹿にする言葉を受け入れられなかった。実際私も制止するほどの悪質な場面にでくわしたことがなかったし、それと同時に、どんな飲み会でも常に私じゃない誰かが、場を盛り上げようと頑張ってくれていたことなどを自分に置き換えて思っていた。いくらそんなことを感じたとしても、揃えられた記号としてはこうならざるを得ないことも理解していた。揃えられてしまったこと自体を重大な過失と幻滅してファンが非難することを、仕方がないと思うしかないのかもしれない。

初めてNEWSのライブへ行った時に、私は客席の女の子たちが細部にまで気を使い着飾っているのが新鮮だった。それは屋外のライブで自分の席が空に相当近い場所だったということもあるけれど、遠くにいる4人のNEWSと、復活を心から喜ぶ周りにいる大勢の可愛い人たちに囲まれて幸福な気持ちでいた。それはとても綺麗な光景だった。

それから何度もコンサートに足を運んできたが、いつも客席の子達はとびきりに着飾っていた。でもそうやって現場では細部まで完璧に見た目を仕上げている(かもしれない)人達が、ネットの中では全く身なりにも気を使う様子もなく、特定の人へ汚い言葉を吐き続けている。

汚いものを汚いと認識した上で観察することは嫌いじゃない。人間の暗部に興味を持ってわざわざ見に行くことはある。でも、日々の汚れに塗れた時間から離れて、綺麗な小石を集めたいような気持ちの時には、それは目にしたくないものだった。

私は罵声をくぐるように小山君のファンたちの様子を見に行った。彼女たちには、理屈ではない「慶ちゃん大好き」というパワーがあった。時折辛い気持ちが見え隠れすることはあっても、ポジティブな方向へ振り切ろうとしているようだった。そういう人達の、いいね、や、リツイートされている他のツイートを辿ると、殆どの人が前向きで愛に溢れている世界が見えた。

私には資質がないので、ストレートに愛を語っているツイートはいつもつい外野のような視線で眺めてしまう。私はその輪に入れない。関心、テンション、嗜好、何もかも傾向が違っていて、私が無理をして言っても全部嘘になる。でも、辛い状況であってもきちんと身だしなみに気を使い、できるだけ着飾り、全力で愛に溢れるうちわを掲げる彼女たちを眺めていたいと思った。とても綺麗だったから。

しばらく個人でのテレビ出演が無かった小山君が、先日久しぶりにパネラーとして単独で特番に出演していた。私はもしかしたら言われているかもしれない悪口を素通りし、彼女たちの歓喜のうちわだけを見に行った。私は小山君のファンではないけれど、多分小山君のファンのファンだ。

誰か

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いつものことだが、思い出話をする。

大学時代、私はよく公開収録に申し込んでいた。交通費だけで楽しめる、都会近郊に住む暇な貧乏人の娯楽の1つだった。ほとんど当たらない人気番組もあれば、並べば普通に観覧できるものもあった。

よく行っていたのは生放送のバラエティだったけど、何回かに一回は収録の番組もあり、その時は収録後に伝えられた放映予定日を心待ちにした。自分が客席に写っているかどうかなども気にしながら、記憶と照らし合わせ番組を見る。でもたいてい、自分が公開収録で見てきたものとは違うものなのだった。

収録の時に面白かったからもう一回見たいと思っていたシーンが全てカットされている程度のことはたいしたことではなくて、あれ、こんな流れだったかな、これは別のことを受けてのコメントで、みんなこんなに笑っていなかったよなと思ったりすることもあった。確認する術はない。でも、仕上がったものには私の見た収録が一応は詰め込まれているのに、ある種の架空の世界なのだった。映像として共有されるのはこの番組だけで、私があそこで見たものは消える。あの場にいた誰かの記憶の中に残っているかもしれない。でももう私の中でも輪郭線がぼんやりとしている。放送された映像で記憶が上書きされてしまうような。

あの時素人大学生の私にわかったのは、私が目にしていた光景は素材で、そこにいた芸能人は映像素材を提供する人たちでしかないということなのだった。それまでほとんど気にしたことのなかった、映像を編集する「誰か」の大きさに気付いたのもその時だ。

その「誰か」を意識してテレビを見ていると、収録に行ったわけでなくても、ここは別のシーンで笑っているものを差し込んでいるのかなとか、ここの順番を入れ替えているのかなと思うようになる。実際、全く同じ笑っているシーンが2 度差し込まれたり、いるはずの人がいなかったりといった雑な編集も度々あって、まあ、ここは、そうだな、たしかにこうした方が面白いかもなと思ったりしていた。

その頃は80年代で、自分で映像を編集したり、ましてや加工するというイメージなど全く持てないアナログな時代だった。貧乏学生だった私はビデオデッキすら持っておらず、自分が見に行っていたそれらの番組を録画することすらできなかった。

就職してから私は仕事で本格的にデジタルの世界に接した。「リコンフィギュアード・アイ」という本を読んで、写真がますます信用できなくなるこれからのデジタル時代のことを思ったのもその頃だ。若干の気持ちのざわつきを覚えても、当時は自分の都合のいい未来しか思い描いておらず、楽観的だったような気がする。

今、私が生きているこの時間は確実に、あの頃の技術の上に積み重ねられた未来だということはわかっている。でももし、連続した記憶で間を埋めることができなかったら、私はこんな時代を信じられるんだろうか。手元にはいつもデジタルで撮像できて、加工できて、世界へ発信できる小さな道具がある。昔はごく一部のプロフェッショナルが仕事でやっていた編集や加工は、今や誰でも簡単にできる。私を含む誰もが映像素材になり得て、それを使って編集された「架空の世界」が手軽に仕上がる。そして、それを誰もがすぐさま全世界にバラまける。

そこら中にあふれている膨大な数の映像の一つ一つは姿の見えない「誰か」が編集した結果だ。切り捨てられた部分の内容も、それを捨てた理由も、与えられたデジタルデータからは復元できないが、確実なのは、それをそう見せたい誰かがそこにいる、ということ。昔公開収録の時に認識したのと同じ、誰か、ではあるけれど、あの時よりもっと得体の知れない、誰か、だ。

本人が加工して見せたいものを発信している鎧のような架空の映像だけではなく、隠し撮られて、何らかの思惑のもと切り取られたようなものも実際存在する。そういう類のデータを目にしたり、それを嬉々として拡散して盛り上がっている様子を目の当たりにすると、私はあの頃楽観的に思い描いていた未来ではない、誰かの自己顕示欲や他者への悪意で技術がどろどろにされている未来に来ているんだなと思う。

いつか

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私は下の子の学童保育が終わる時間に家に帰れるように仕事をしている。バスの本数が少なく絶対に乗り遅れてはいけない緊張感の中、なんとか仕事を定時に終わらせ、早足で乗り込んで座ると、しばらく自分だけの時間ができる。数年前、私はそのバスの中でよく「小山 アナウンサー」でツイート検索をしていた。ここは関西で、4時代のエブリィの放送がない。だから小山君のキャスター姿を見る機会はほぼなかったのだけれど、ツイッターで「小山君アナウンサーみたい」と関東の一般視聴者が呟いているのを確認するのが、金曜日以外の日課になっていた。

私はNEWSファンで加藤ファンではあるけれど、それ以外のメンバーの単独の仕事は完全には追いかけていないかもしれない。ただ、小山君のキャスター仕事は先に述べたように関西ではほぼ見れないので、NEWSで知っている小山君とは別人のようなキリッとした姿を見たくて、関西放映する選挙特番などは必ず録画していた。彼の、それこそアナウンサーみたいにも聞こえる原稿読み技術にはいつも感心していた。手話の自然さも好きで、エブリィで手話を使ったことを察知する度「小山 手話」で検索して「小山君手話できるんだ」と誰かが感心しているのを見つけて和んでいた。あんなにチャラい小山君が、「アナウンス」や「手話」といった技術面で褒められているのは「努力が実を結ぶ」成果を見たような温かい気持ちになって、変な話ではあるが、仕事に疲れた帰り道の癒しになった。だいたい毎日2件くらいは呟かれていて、それを見ては「今日も小山君はアナウンサーみたいだったのか」と思い、呟きのない日は、「今日はアナウンサーみたいじゃなかったのかよ」と残念に思ったりしていた。

彼にアンチが多いのは知っていた。私がNEWSに興味を持ち始めた2011年10月、こやしげ、特に小山君についてはアンチの書いている悪口ばかりを目にした。だから最初、ツイッターで見かける「小山担」と言う人たちがその彼のどこが好きなんだろうと不思議に思ったほどだ。

時間をかけて過去のいろんな映像やライブDVDを見たり、加藤君に唐突に興味が湧いて手当たり次第K.K.Kityにまで遡って映像を見ていたりするうち、小山君という人がだんだん掴めたのだと思う。私が捉えた小山君像は「多少空気を読めないミスはあっても、常に場を盛りあげる役割を背負って頑張ってきた子」であり、「風見鶏的な面もあるけど、本質的にとても優しい子」であるのだろうと思った。その、あくまで私個人が感じた人物像でファンやアンチの主張をみると、まあまあつじつまが合っていた。

私などのように鉄壁の人見知りで対人に警戒心しかない人間からすると、この人は何かの対人センサが壊れてるんじゃないかと思うこともあった。私の友人に彼のようなタイプがいたら、自分が絶対できないことをいとも簡単にやってのけるからきっと憧れたかもなあ、などど思う。だから加藤君が小山小山言っているのもわかる気がした。私はいつしか「加藤君目線の小山君」で捉えるようになった気もする。そうすると彼の儚ささえも見えてくるよね。

小山君に関しては、トーキョーライブや24時間テレビなどの生放送対応の安定感や、変ラボなどで見せる素人とのコミュニケーション能力の高さなどもすごいなと思っていた。でも、ある番組で指原さんが小山君に「真面目売りは危険!」と言っていたように、私も変に真面目さをアピールする各番組には違和感があった。小山君の本当に評価すべきところはチャラくてパリピなのにきっちりキャスター仕事を仕上げているところなのでは?と思っていたから。

私の癒しになっていた「小山 アナウンサー」検索は、ある頃から常に悪口を拾うようになった。NEWSの検索に限らないけれどツイッター自体荒れた場所に変貌していき、流出だのなんだの愚痴アカだのなんだの、殺伐としていた。事情通が湧きフォロワーが増え、悪口を言う集団が形成され、勢力が強まり暴走を始める。
私は、検索をやめてしまった。小山君について何か検索するときは、"小山くん"と、敬称をつけるようにしたが、それでも完全に悪口を排除するのが難しくなったからだった。
そして、若干沈静化したように思えた頃、今年の例の音声の件がおこる。

彼の活動自粛は、相手が未成年であったこと自体ではなく、年齢を偽って伝えられ未成年であることを知らなかったとしても「飲酒コールをしていたことが適切ではなかった」というものであり、それは一貫している。社会人として未熟であった、というのも、一般的にアルコールハラスメントと捉えられるようなコールをしたことに対してだ。

ただ単純な話でないのは、例の件はハラスメントをされた側の告発として明るみになったわけではなく、誰かが録音し、それがネットに一瞬アップされ、すぐ消されたにもかかわらず別の人たちが半笑いで拡散し、疑惑の段階でネットニュースになり、後に週刊誌が未成年本人に突撃して飲酒を認めさせ記事にしたもの(と、様子を眺めていた私は認識している)。この、「受けた側が自ら告発したわけでないハラスメント」そしていわばチャラいコール飲みの音声であることも、人によって、世代によって、受け取り方が様々になる要因なのだと思う。

「ハラスメントとされている行為をするのは報道キャスターとしてどうなのか」と問題視されるのはわかる。同様な出来事で嫌な思いをしたことのある人や、アルハラ問題に取り込んでいる人たち、厳しい倫理観を持つ人たちなどが報道番組復帰に否定的になるのもわかる。
だが、ツイッターで見かけるのは「犯罪者」といった理解力に欠けた暴力的な罵声だったり「若い女と飲むようなクズはキャスター失格」というような極端なものだったり、あいつ気に入らなかったから徹底的にやろうぜw、みたいなものや、事務所全体に絡む芸能批判だったりする。一方の擁護の声はNEWSの「慶ちゃん」のファンしか見えてこない。

私は彼がメインキャスターをしていた番組の放映地域に住んでいないから完全な外野だけれど、単に毎日番組を見ていた一般視聴者で、私みたいになんとなく小山君の技術面が好きで出演自粛を残念に思っている人もいるんじゃないだろうか。そんな声はツイッターから悪口を踏まず拾いようがないが。もし逆にキャスターが小山君じゃなくなって番組が良くなったと思う人が多いならメインキャスター復帰は難しいだろうし、それは、番組を見ていなかった、そして今も見ていない私にはわからない。
過去、メインキャスター就任をスキャンダルで降板した人も数名思い浮かぶ。世の中の事件にコメントを付けたりするキャスターは仕事ができる云々とは別に、染みひとつない清廉性を求められるのかもしれない。

嫌だなあ、と思う。
ゴシップなんて昔は一部の週刊誌に限られたものだったのに、その文法がSNSに蔓延してしまった。今回の件に限らず、文脈を無視して盗み撮りして切り取られた一瞬が拡散され、それに各々の発想で補完が創作され、さらに勝手に発信される。このご時世、ほとんどの初対面の人を記者だと思うほど警戒して接していかないと、完璧に清廉なイメージは保てないように思う。そう考えると私の思う小山君の持ち味の1つである人に対する垣根の低さは常にリスクを伴う。嫌な時代だけど、そういう時代になってしまったからには受け入れて対応して生きていくしかない。対応できないなら生き残れない。

もし彼がキャスターに復帰することを今の世論が許さないと判断されてしまったら、残念だけどそれも時代だと思うしかないのかもしれない。人生や仕事って大概しんどくて、理不尽と思うようなことも起きてしまうのが常で。
でもいつか、沈黙期間を経たけど衰えていない彼の技術が見たいし、それを生かせる現場を与えられる日が来て欲しいと思う。私程度の関心度で惜しいと思うんだから、もっとそう思っている人が彼に近いところでいるんだろうけど。

ずっと好きでいること ー 走れウサギ

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半年前の話。


毎年、誕生日、もしくは翌日の祝日に自由行動をしている。1年に1度、自分のためだけに過ごす1日。


今年、その2月10日に、金井夕子さんのライブがあった。去年の6月の復活ライブは都合がつかず行けなかったが、後々セットリストにあった「走れウサギ」を見てひとり切なくなっていた。


今回もし行かなかったら、どれだけ後悔するだろう。セットリスト片手に地団駄を踏む未来が見える。誕生日とライブが重なる偶然など奇跡だ。いわば、運命だ。思い切って行こう。渋谷は奈良から遠いけど。




そして、ライブの日。


こじんまりしたライブハウスにひとりで行くのが久しぶりなためか、軽い興奮状態にあった。挙動不審。気持ちを落ち着かせるために端の方に座り、1ドリンクでグラスワインを選び開演を待った。


そして、開演。


金井夕子さんが登場した。すぐそこに立っていて、歌っている。本人だ。現実だ。眩しい。


聴きながら何を考えていたのか思い出せないけれど、多分私はずっと泣いていた。歌う姿を目に焼き付けようとしているはずなのに、両目から勝手に涙が出てくる。


私が彼女のアルバム「écran」に出会ったのは高校生の時だ。スリランカ慕情やチャイナローズが好きだったこともあり、レコードレンタルショップで見つけたとき、珍しさもあって何の気なしに借りた。


écranは、豪華な作家陣が提供した楽曲の素晴らしさもさることながら、曲に合わせていろいろな表情を見せる彼女の声の魅力に溢れていた。オープニングからエンディングまで幅広いジャンルの曲が詰め込まれた濃密な一枚で、様々な歌声を堪能できる。どの曲も好きだったし、どの曲にもその曲ならではの聴きどころがある。

特に、私はB面4曲めの「走れウサギ」が大好きだった。繊細で寂しげな細野さんによる美しいメロディのテクノサウンドに、糸井さんの印象的な歌詞、そして夕子さんの優しく囁くような歌声。一分の隙もない私にとって完全な曲だった。

そして、そこからアルバムラストの「銀幕の恋人」に続く。この曲は夕子さんのアルトの声質をフルに活かしたエモーショナルな歌。パステルラブでデビューした夕子さんの実質ラストアルバムとなった「écran」という演目の幕が降りるに相応しい、尾崎亜美さん作の名曲。この曲の余韻に浸りながらも、終わるのが寂しくてまた最初から聴いてしまう。そんな、劇場のようなアルバムだった。


私は録音したテープを繰り返し聴いた。私にしては高級なテープに録音していたので、もしかしたらもう一回借りて録音し直したのかもしれない。曲名、作詞作曲者を書き写したインデックスは当時の私の筆跡だ。LPレコードは結局その後中古で2枚手に入れて大切に保存している。


私が初めて買ったCDも金井夕子さんのものだ。当時一人暮らしの部屋にはレコードプレーヤーしかなく、CDを聴くことができなかった。そんな頃、金井夕子さんのベスト盤のCD、プレイバックシリーズ金井夕子が発売されることを知った。聴けない、とかそういう問題ではない。当然のように購入し、帰省したとき弟に頼んでテープに録音し、聴きこんだ。


その後も、テクノ歌謡のオムニバスに走れウサギが収録されたけどまさかのバージョン違いで気持ちがざわざわしたとか、突然のアルバムbox発売に狂喜乱舞だったとか。そんなことをいちいち語ったら延々と時間が過ぎてしまう。



でも、私は活動する彼女をリアルタイムで追いかけてはいない。全て後追いだ。当時は今と違い、情報を手に入れる手段がなかった。私がしたことは、新譜や掘り出し物が無いか、「か」のインデックス内を漁ることくらいだった。(金井由布子として見つけた時は少しショックだったことを覚えている。)


だから、好きが爆発するような濃い時間を過ごしていない。無人島に持っていくアルバムは何、というありがちな質問があればécranを真っ先に挙げるだろうし、好きな曲でコンピレーションを作るとなら「走れウサギ」をメインにする。それだけといえば、それだけ。でも彼女のアルバムが私の中で名盤中の名盤、走れウサギが名曲中の名曲であり続けたのは間違いがない。


35年経ち、高校生だった私は52歳になった。


「走れウサギ」をこうやってご本人の歌唱で聴く、そんな未来が来るとは全く想像していなかった。しかも、écranのオープニングの2曲を夕子さんとまめしばさんが完全再現して下さったり、大好きな「可愛い女と呼ばないで」まで聴くことができるなんて。


長期のブランクがあったと思えない艶やかな歌声。髪は昔と違ってグレイヘアだけれど、可愛らしい顔立ちとヨガで整えたと思われるスリムな体型。トークに垣間見える歌へのこだわり。35年の間、若い頃の写真と歌声で理想化してしまっていたはずなのに、そのイメージを壊すどころか、更に完成させてくれるような、満ち足りた素晴らしいライブを見せていただいた。



人生、何があるかわからない。

ずっと好きでいると、幸せなことも、起こるものなんだなあ。




金井夕子さんの歌声が聴けるきっかけを作ってくださったkeiZiroさんとまめしばの皆さまに、心から感謝します。


ずっと好きでいること ー 夜よ踊れ

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3つ書きたいことがあったのに、そのうち目の手術の件を仕上げて満足し、ほかの2件を保留したまま月日が過ぎてしまった。

書きたいことが増えて、その2件とどちらを優先したら良いのかもうわからない。

とりあえず書いておこうかなと思うのは、しばらく前に娘(19歳)に言われた言葉。

「ママって、1つのことずっと好きだよね。そこは信頼できる」

あら、どうもありがとう。と思っていいものかどうかわからなかったけど、褒め言葉だよ、とわざわざいうので素直に受け取った。

おそらくそれはNEWSの載ってる雑誌を買ったか加藤さん単独の何かを見せびらかしたかの時だと思う。ここにはしばらく書いてないけど、相変わらず私はNEWSを聴いているし、関連した品を可能な範囲で購入しているし、加藤さんの出演するビビットは毎週録画して全部残している。見ているかというとそうでもないが。

ジャニーズアイドル界隈に詳しくなっていろいろレンタルして聴いても、結局NEWS以外に心動かされることはなかった。こやしげテゴマスの声質や歌唱力バランスや歌割りなど、私が面白いと思うのはジャニーズ共通のものではなくNEWS独自のものなのかもしれない。

実はエプコティアツアーはちょっとした事故で行けなかった。1度も行けなかったのは聴くようになってから初めてで、仕方ないからDVDを極力ネタバレなしで見たい、と、最近は情報収集を控えていた。

情報収集をやめても、私がブログに書かなくても、私が呟かなくても、人気者のNEWS はそこにいたからね。

でも、先月嫌なことが起こった。誰かを応援することにある種の危うさがあることは経験上分かっていたけれど、それが現実になってしまったということだ。ただ、今回の件はTwitterで最初から見ていて、発生からの過程と、その構造自体が恐ろしくてしかたなかった。こんなことでこうなってしまうなら、もう、どこにも安心なんてないじゃないか。

ネットで罵倒する人たち、説教する人たち、嘲笑する人たちを静観しながら、彼らが積み上げた成果がこれで上書きされるのは切ないなあ、と、陰鬱とする。とりあえず、見るべきでない中傷が見えないように対策をとる。恐る恐るファンの様子を伺う。それを見ながらさらに鬱々とする。

私が好きな彼らはこの子達が罵る人と同じなのだろうか。おそらく摂取し消化して作り出したイメージは、私という人間の発想の枠組みで解釈した私の頭にだけあるもの。それが今回の件で崩壊してしまったのならまた違った感情を抱き、これだけ怒れるんだろうか。いや多分私は今回の件を、許す許さない、呆れる呆れない、とかそういう次元で捉える年齢はとっくに過ぎている。そんな感情を持てるほど青臭くいられない。

人の呟きばかり観察していた私も、何か書くか、とこんな内容をメモした。

"君たち、せっかくいいところなのに、ちょっとポンコツだね。でも、君たちがあまりにも頑張り続けたものだから、ポンコツさに惹かれたのがきっかけだったことをすっかり忘れてたな。"

でも、読み直して書き直す。

"いろんな人のいろんな意見や罵りを読んだ。私はずっと頑張ってきたいい大人に説教めいたことを言えるほどに立派じゃないんだよなあ。もっとちゃんとしないとなあ。今日のハンバーグもボロボロだよ。 "

体がふわふわするような経験のない不調が続いて、ああ、これが噂の更年期障害なのかな、などと医者に行った。少し控えていたものを取り戻すかのように、NEWS関連の雑誌を買い、本を買い、書いてあるものを隅々まで読んだ。散歩を名目に近所の神社に行っては「NEWSが無くなりませんように」とお祈りをした。芸能界という特殊な世界でいろんなプロジェクトに関わっている彼らが負担しなくてはならない損失を最小にしてそれ自体を継続させていってくれること、周りにいるプロたちが最善のサポートをしてくれること、そして、彼らの今回の出来事に便乗して一儲けしようという大人や、バズる快楽に溺れる下品な有象無象が少し静かにしてくれますように、なんて、神社に行って祈るしかないじゃないか。

幸い無事発売されたBLUEは好きな曲だった。特に、通常盤に収録されていた「夜よ踊れ」は、いつも歌割のことばかり気にしている素人の私の想像など軽々と超えてきた。年齢とともに、何を聴いても過去曲をとの類似を探すAIのようになっている自分にうんざりだったのだけれど、「夜よ踊れ」は聴き終わって軽いショックを受け呆然とし、何度も聴いて歌割りを確認していた。

4人になってリリースした当初は声の組み合わせのバリエーションが少ないとか、歌割りのパターンが見えてしまう物足りなさが無いわけではなかったけれど、ここ数年間はいろんな歌割りに挑戦したり歌い方を変えたりしているのか、声が足りないなどとは思わなくなっていた。

そして「夜よ踊れ」は、安定しつつあったパターンを破壊して、それぞれの声という武器を余すことなく使い「美と狂気を感じる曲」に仕上げられていた。何度も聴いた。聴くたびに発見があって飽きることがなかった。

そうか、彼らの歌はこういう域に来ているんだね。

面白いなあ。素晴らしいなあ。

薄く氷が張っているその下にまだピラニアに似た気味の悪い魚が見えるような不安は残っているが、私自身に生じた体の不調はいつしか消えていた。

「ママって、1つのことずっと好きだよね。そこは信頼できる」

そうだね。多分ずっと好きでいると思うよ。

そして透明になった

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左目の中はすっかり透明になった。邪魔だったガスだけでなく、子供の頃からの強い飛蚊症で見えていた糸くず状に動く影も見当たらない。このようなクリアな世界は生まれて初めてな気がする。

小学生の頃、目を細めるとミミズのようなものがたくさん見えることを母親に強く訴えた。それらは視線を動かすと見た方向へ動く。目を細めず普通にしていても、その影が動くのがわかって気持ち悪かった。

同じ頃視力も落ちたため、私は眼科に連れて行かれた。母親は言いにくそうに、この子がこんなことを言うものでして、と遠慮気味にその話をする。医者は、「おかあさん、本当に見えるんですよ」と言った。私はそれを聞いてほっとした。

その時だっただろうか。私は、飛蚊症という呼び名と、特に心配はないことと、それは治療で消えることはなくずっと見え続ける、ということを知った。子供なりに、軽い絶望はあったと思う。一生それがあるということをイメージできてはいなかったけれど、大人の言うように「気にしない」ことなどできるのだろうかと思った。こんなに鬱陶しくて邪魔なのに。

急に増えたら医者に行くように、とか、年に一度は診察を受けるように、とか、いろんな場面でいろんな眼医者に言われつつ、それはいつも大量に目の中にあった。理科の授業で顕微鏡を覗いたとき、スキー旅行で一面銀世界になったときなど、それは存在感を強くした。私はよく自ら蛍光灯の光を目を細めるようにして見て、何層にも存在するそのミミズの量と動きを確認した。年を重ねるたび、それは増え続けていた。

そして50歳を過ぎた一昨年、急に今までとは違う濃い飛蚊症の症状が出たのをきっかけに、網膜裂孔、黄斑前膜、そして、黄斑円孔、手術。最後に出現した濃い影は本当に邪魔だった。それがあっさり消えてしまう日が来るとは。でも、長年煩わしかったものが無くなって嬉しいはずなのに、感情はちょっと違っている。

右目は変わらず黒い影がうねうね動いている。邪魔といえば邪魔だけれど、それ以外を知らないで生きてきた私にとっては普通のことだ。でも、その影が綺麗に消えた左目は、歪みと、見えない箇所がある。白内障の手術の副効果で色調も、若干変わってしまっている。

どちらがいいかと聞かれたら、迷うことなく歪みのない右目を選ぶ。

でも、これがもし逆で...、つまり、子供の頃から中央部が少し歪んでいるけどクリアな景色に慣れていたとして、いい大人になってから、歪みはないけれど大量のミミズのようなものが蠢く目を与えられたら、どちらを選んでいたんだろう。

消失

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退院して出勤した頃には目の中のガスは抜けきっておらず、左目の下の方にそれがまだあった。


だいぶ減ってくると、境界線は水平線ではなくなる。目が球体であることなど普段意識することなどないから、だんだん境界線が曲線になるのは変な感じがした。それは少なくなればなるほど透過しなくなり、左目の下方を覆い隠すじゃまな存在になっていた。私は下りの階段に注意しながら通勤した。


仕事中ずっとパソコンを見ていなければならない。職場の人に目の状態を聞かれても、はい、すっかり回復しました、と答えるのは難しい。相変わらず歪みはあるし、真ん中に少しだけ見えないところもある。

まあまあですかね。

そう答えることくらいはできる。


手術前に受けた説明で、視力はゆっくりと何ヶ月もかけて回復すると聞かされていた。それこそ「日にち薬」なので、私は信じるしかない。歪みは治らないにしても、目の中心部にある少しだけ見えないところはいずれ見えてくるのではないだろうか、と期待だけはしていた。


それでも、職場のパソコンを見たり、本を読むのは手術前より楽になった。左目は白内障の手術のせいで老眼が進んだ状態になってしまったので、今までと同じ眼鏡では文字がぼやける。つまり、左目の異常な映像にぼかしがかかり、歪みが邪魔をしなくなった。結果、正常な右目だけで読めて楽になった、というようなことなのだが。


本を読むために俯くと、左目の下の方にはまだガスが見える。ちょうどその頃私は読みたい本があり(「チュベローズで待ってる」という本なのだが)、慣れない視界のまま読書を始めた。本がどんな風に見えていたのかは今となっては思い出せない。結局文字が読めさえすれば、見え方関係なくその世界に没入できるということはよくわかった。


ガスが少なくなると、真下に見える円状の影、になり、手術から2週間近く経つ頃には「小さな粒」になった。粒が、私の動きに応じて相対的に位置を変える。私の眼球の絶対的な真下を指す印として、それはそこにあるかのようだった。(と言っても、実際は真上なのだが。)


一定の量でガスが抜けているからか、あと少し、と感じてからの変化のスピードは早かった。粒、と認識した日の翌朝には、それは消失した。


ああ、消えた。


目の中のガスを観察した日々が終わり、歪みと暗点を観察する日々が始まる。