いつか

  • 投稿日:
  • by
  • カテゴリ:

私は下の子の学童保育が終わる時間に家に帰れるように仕事をしている。バスの本数が少なく絶対に乗り遅れてはいけない緊張感の中、なんとか仕事を定時に終わらせ、早足で乗り込んで座ると、しばらく自分だけの時間ができる。数年前、私はそのバスの中でよく「小山 アナウンサー」でツイート検索をしていた。ここは関西で、4時代のエブリィの放送がない。だから小山君のキャスター姿を見る機会はほぼなかったのだけれど、ツイッターで「小山君アナウンサーみたい」と関東の一般視聴者が呟いているのを確認するのが、金曜日以外の日課になっていた。

私はNEWSファンで加藤ファンではあるけれど、それ以外のメンバーの単独の仕事は完全には追いかけていないかもしれない。ただ、小山君のキャスター仕事は先に述べたように関西ではほぼ見れないので、NEWSで知っている小山君とは別人のようなキリッとした姿を見たくて、関西放映する選挙特番などは必ず録画していた。彼の、それこそアナウンサーみたいにも聞こえる原稿読み技術にはいつも感心していた。手話の自然さも好きで、エブリィで手話を使ったことを察知する度「小山 手話」で検索して「小山君手話できるんだ」と誰かが感心しているのを見つけて和んでいた。あんなにチャラい小山君が、「アナウンス」や「手話」といった技術面で褒められているのは「努力が実を結ぶ」成果を見たような温かい気持ちになって、変な話ではあるが、仕事に疲れた帰り道の癒しになった。だいたい毎日2件くらいは呟かれていて、それを見ては「今日も小山君はアナウンサーみたいだったのか」と思い、呟きのない日は、「今日はアナウンサーみたいじゃなかったのかよ」と残念に思ったりしていた。

彼にアンチが多いのは知っていた。私がNEWSに興味を持ち始めた2011年10月、こやしげ、特に小山君についてはアンチの書いている悪口ばかりを目にした。だから最初、ツイッターで見かける「小山担」と言う人たちがその彼のどこが好きなんだろうと不思議に思ったほどだ。

時間をかけて過去のいろんな映像やライブDVDを見たり、加藤君に唐突に興味が湧いて手当たり次第K.K.Kityにまで遡って映像を見ていたりするうち、小山君という人がだんだん掴めたのだと思う。私が捉えた小山君像は「多少空気を読めないミスはあっても、常に場を盛りあげる役割を背負って頑張ってきた子」であり、「風見鶏的な面もあるけど、本質的にとても優しい子」であるのだろうと思った。その、あくまで私個人が感じた人物像でファンやアンチの主張をみると、まあまあつじつまが合っていた。

私などのように鉄壁の人見知りで対人に警戒心しかない人間からすると、この人は何かの対人センサが壊れてるんじゃないかと思うこともあった。私の友人に彼のようなタイプがいたら、自分が絶対できないことをいとも簡単にやってのけるからきっと憧れたかもなあ、などど思う。だから加藤君が小山小山言っているのもわかる気がした。私はいつしか「加藤君目線の小山君」で捉えるようになった気もする。そうすると彼の儚ささえも見えてくるよね。

小山君に関しては、トーキョーライブや24時間テレビなどの生放送対応の安定感や、変ラボなどで見せる素人とのコミュニケーション能力の高さなどもすごいなと思っていた。でも、ある番組で指原さんが小山君に「真面目売りは危険!」と言っていたように、私も変に真面目さをアピールする各番組には違和感があった。小山君の本当に評価すべきところはチャラくてパリピなのにきっちりキャスター仕事を仕上げているところなのでは?と思っていたから。

私の癒しになっていた「小山 アナウンサー」検索は、ある頃から常に悪口を拾うようになった。NEWSの検索に限らないけれどツイッター自体荒れた場所に変貌していき、流出だのなんだの愚痴アカだのなんだの、殺伐としていた。事情通が湧きフォロワーが増え、悪口を言う集団が形成され、勢力が強まり暴走を始める。
私は、検索をやめてしまった。小山君について何か検索するときは、"小山くん"と、敬称をつけるようにしたが、それでも完全に悪口を排除するのが難しくなったからだった。
そして、若干沈静化したように思えた頃、今年の例の音声の件がおこる。

彼の活動自粛は、相手が未成年であったこと自体ではなく、年齢を偽って伝えられ未成年であることを知らなかったとしても「飲酒コールをしていたことが適切ではなかった」というものであり、それは一貫している。社会人として未熟であった、というのも、一般的にアルコールハラスメントと捉えられるようなコールをしたことに対してだ。

ただ単純な話でないのは、例の件はハラスメントをされた側の告発として明るみになったわけではなく、誰かが録音し、それがネットに一瞬アップされ、すぐ消されたにもかかわらず別の人たちが半笑いで拡散し、疑惑の段階でネットニュースになり、後に週刊誌が未成年本人に突撃して飲酒を認めさせ記事にしたもの(と、様子を眺めていた私は認識している)。この、「受けた側が自ら告発したわけでないハラスメント」そしていわばチャラいコール飲みの音声であることも、人によって、世代によって、受け取り方が様々になる要因なのだと思う。

「ハラスメントとされている行為をするのは報道キャスターとしてどうなのか」と問題視されるのはわかる。同様な出来事で嫌な思いをしたことのある人や、アルハラ問題に取り込んでいる人たち、厳しい倫理観を持つ人たちなどが報道番組復帰に否定的になるのもわかる。
だが、ツイッターで見かけるのは「犯罪者」といった理解力に欠けた暴力的な罵声だったり「若い女と飲むようなクズはキャスター失格」というような極端なものだったり、あいつ気に入らなかったから徹底的にやろうぜw、みたいなものや、事務所全体に絡む芸能批判だったりする。一方の擁護の声はNEWSの「慶ちゃん」のファンしか見えてこない。

私は彼がメインキャスターをしていた番組の放映地域に住んでいないから完全な外野だけれど、単に毎日番組を見ていた一般視聴者で、私みたいになんとなく小山君の技術面が好きで出演自粛を残念に思っている人もいるんじゃないだろうか。そんな声はツイッターから悪口を踏まず拾いようがないが。もし逆にキャスターが小山君じゃなくなって番組が良くなったと思う人が多いならメインキャスター復帰は難しいだろうし、それは、番組を見ていなかった、そして今も見ていない私にはわからない。
過去、メインキャスター就任をスキャンダルで降板した人も数名思い浮かぶ。世の中の事件にコメントを付けたりするキャスターは仕事ができる云々とは別に、染みひとつない清廉性を求められるのかもしれない。

嫌だなあ、と思う。
ゴシップなんて昔は一部の週刊誌に限られたものだったのに、その文法がSNSに蔓延してしまった。今回の件に限らず、文脈を無視して盗み撮りして切り取られた一瞬が拡散され、それに各々の発想で補完が創作され、さらに勝手に発信される。このご時世、ほとんどの初対面の人を記者だと思うほど警戒して接していかないと、完璧に清廉なイメージは保てないように思う。そう考えると私の思う小山君の持ち味の1つである人に対する垣根の低さは常にリスクを伴う。嫌な時代だけど、そういう時代になってしまったからには受け入れて対応して生きていくしかない。対応できないなら生き残れない。

もし彼がキャスターに復帰することを今の世論が許さないと判断されてしまったら、残念だけどそれも時代だと思うしかないのかもしれない。人生や仕事って大概しんどくて、理不尽と思うようなことも起きてしまうのが常で。
でもいつか、沈黙期間を経たけど衰えていない彼の技術が見たいし、それを生かせる現場を与えられる日が来て欲しいと思う。私程度の関心度で惜しいと思うんだから、もっとそう思っている人が彼に近いところでいるんだろうけど。