愛はポケットの中に/華盛開

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 この曲も、断片しか覚えていない。歌詞の引用は控えるが、要するに、奥さんと子供がいる人に対して、 「私が邪魔だったら、ポケットの中でも入れて歩いて」とせがんでいる歌(ほぼ引用ともいえるが)。

 サビのみしか覚えていないが、思い出そうとすると途中のメロディの奇妙なリンクで、何故か中村雅俊の「俺たちの旅」になってしまうので、これを断ち切るべく、真のメロディを知りたいのだ。よりによって俺たちの旅…。本当に似てるのだろうか?

2004.3.23 追記。
 この曲は「ソングライタールネッサンス テイチクエディション」(TECN-20164, 1992.6.5 税込定価2000円)でCD化されている。つい最近、ヤフオクで手に入れ(落札価格980円)久しぶりにきちんと通しで聞いた。歌詞は「今日のうた」にも登録しておいたので、興味がある方はそちらをご覧下さい。
 しかし、怪しげでオリエンタルなアレンジ、一息でとことん歌い上げるメロディライン、これでもかと繰り返されるサビ部の歌詞、何回聞いても飽きない。でも、やっぱりふと思い出そうとすると、「俺たちの旅」とつながる。ということで、似てる、ようだ。
 ちなみに「ソングライタールネッサンス テイチクエディション」はかなりお勧めのCDなので、ヤフオクで見かけたらぜひ買ってください。収録曲はこちら

もどかしさもSOMETIME/斉藤康彦

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 金八、新八、仙八、貫八、どれを取るといわれたら、迷わず新八先生である。というのも、記憶に殆ど残ってないが、このシリーズでは一番積極的に見ているはずである。 なぜなら、私は岸田智史を心配していたからだ。岸田智史は嫌いじゃなかったのである。 当時、国語の教科書にあった脚本をひとりで演じて、何重録音もしてラジオドラマごっこをしていた。主題歌はいつも岸田智史を起用。主題歌向き。 新八先生がヒットするような予感は全くしなかった。中学一年生はさっきまで小学生だった子供たち。今はともかく当時の感覚からすると、中学一年生の生徒からアイドル出現というのは期待薄である。実際生徒役の顔ぶれを見ても、みんな生粋の子供たちであった。しかも薄味の岸田智史。透明感と清潔感は、この場合存在感を消してしまって逆効果なのではと心配であった。 その私の不安は的中していたが、それはさておき、その新八先生出身でもっともアイドルに近づいた人が斉藤康彦だった。顔立ちが若干長谷川諭系列かも、と思ったけれど、ファンになるまでは至らなかった。 その彼のデビュー曲「もどかしさもSOMETIME」は割と好きだったせいか、数年前まで、ふと時々思い出しては「おお、殆ど覚えている」と自分で感心していた。だが、やはり年のせいか、ある頃からある部分以降のメロディーが出てこなくなった。詳しく言うと、「生きるしか、ないんだと」の先が出てこないのである。無理やり思い出そうとすると、何故か徳丸純子の「聖・ファーストラブ」になってしまい、「髪を切った少女がー」と繋がってしまう。

 好きな曲だから聴きたい、というよりも、メロディが思い出せなくなった気持ち悪さから、「おしえてアイドルRespectビクター編」でこの歌が聞けるのを楽しみにしていた。

 結果、解決。そして思い出したのだが、私はどうしてこの歌をよく聞いたのか。それは、その忘れてしまっていたところのメロディを気に入っていたからであった。詳しく言うと、「雲が南へ流れた」の部分。 そういえば、この曲と同じように、私は水谷豊の「やりなおそうよ」で好きな個所があった。詳しく言うと、「横におまえは渡る」の部分。今から思えば、部分だけ抽出すると同傾向のメロディである。 「もどかしさもSOMETIME」や「やりなおそうよ」がカラオケに入っていたら、おそらく私はその個所だけ歌いたくて、全部歌うんだろうと思う。機会があったらリクエスト、するだけしてみよう。このご時世、実現するかもしれない。

【昭和スター倶楽部】プロマイドギャラリー 斉藤康彦
(2013.1.8 追記)

奇跡の歌/山本リンダ

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 私がまだ10代の頃、「ひるの歌謡曲」で山本リンダの特集をしていて、それをタイマー(当時はぐるぐるっと回すキッチンタイマーの仲間のような大雑把なものを使っていた)で録音して聞いた。そのテープはかなり聞きこんだ。山本リンダと言えば、初期のヒットした露出過多の記憶しか無くて、「ウブウブ」「奇跡の歌」「真っ赤な鞄」などは初めて聞いたので、とても新鮮だった。 その中でも最もインパクトがあったのがこの「奇跡の歌」だった。山本リンダが「善」と「悪」の2役を演じるように歌う歌なのだが、歌詞の内容を聞くと、別に「悪」でもなんでもないのだ。奇跡が起こるって言ってるだけの人なのである。なのに何故こんな怖い歌い方をしていて、もう片方は怯えるのか?
 改めて考えたら、「奇跡が起ることを信じろ」じゃなくて、「私を信じろ、そうすれば奇跡が起る」という、霊感商法のようなことを歌っているような気がしてきた。

 ところで、私にとって山本リンダのテープは「楽しいテープ」で、「聞きごたえのあるテープ」だった。山本リンダは有名だし、万人が喜ぶテープに違いないと思っていた。 20代の初め、友人の会社のスキー旅行に誘われ、行き帰りの車で聞くテープを各自持参してくれと言われた。私はみんなも知っている楽しいテープとして山本リンダのBESTを持参した。 私のテープをかける順番になったのはかなり後の方だった。運転手はすっかり運転に疲れていた。私のテープは巻き戻っていなくて、かけてすぐ流れてきたのはこの「奇跡の歌」だった。運転手は、少し聞いて、「だめ、俺、これ」と言って止めた。 この歌は万人には受けないようだ。

エトセトラ/大場久美子

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「アイドルは歌が下手である」

 私が子供のころ、親はアイドルに大変冷たかった。天地真理や浅田美代子、そして風吹ジュンが歌う時、母親は「へったくそ」と罵倒した。私も特に反論はできなかった。歌手なんだから歌は上手いほうがいい、と、やっぱり思っていた。そして、歌が上手いアイドルは、親も文句をつけないので安心だった。親とテレビを見ている時、下手な人が出てくると、その人が別に好きでなくても、私はいつもはらはらした。

 そんな私が「別に上手くなくてもよいのだ」と初めて確信することができた歌が、この「エトセトラ」だ。私は大場久美子が歌うこの歌が大好きで、偶然録音したテープのこの曲を繰り返し聞いていた。好きな理由はよくわからなかった。だが、サビの部分の「エトセトラ〜」と連呼するところなどは、それまで聞いたことのない、とても新鮮なものだった。上手い下手と単純に評価できるものではなく、こういう歌唱法なのである。この歌を岩崎宏美が歌い上げたら、私は果たしてここまで好きになれただろうか?
 うちの母親が何と言おうと、淡谷のり子が(万が一当時この歌を聴いたとして)何と言おうと、関係ない。大場久美子は素晴らしい。

それだけの秋/清須邦義

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 全く申し訳無いくらいにこの曲に関しては情報を持っていない。だがいきなりある深夜、頭の中にこの曲が回り始めた。何の前触れも無くだ。季節柄「秋だなあ」という連想なのかもしれないが、その時ゆっくり季節について考えたりしたつもりもない。深夜なんだから。
 タイトルもよくわからなかった。頭に回り始めたサビ部分が「ただそれだけの秋〜」と繰り返しているので「それだけの秋」以外のタイトルは考えづらかった。
 気持ち悪いので、インターネットで早速検索する。清須邦義という人が、そういうタイトルの歌を歌っている。
 今度は「清須邦義」で検索する。すると、大量に引っかかる。この方かなり現在手広くやっているようだ。(興味の有る方は検索してみてください)

 そんなこんなしているうちに、ふと見ると文章中に「あせるぜ」という文字の書いてあるページがある。とたんに、「あせるぜ」という歌が、しかも、殆ど何も覚えていなくて「あせるぜ!」という部分がメロディだかなんだかわからない状態で頭に浮かんでしまう。一体これはいつ聞いた誰の歌なのだ?全く思い出せない。気持ち悪い。
 ということで、また検索する。しかし、こういう歌が一番困る。もっと複雑なタイトルつけてくれよ…、と愚痴りつつ、山のような情報の中から「阿部敏郎」という名前を見つける。そうだそうだ、そういえばそんな人がいた…。で、この歌はどんな歌だっけ?…。

 と、どんどん時間は過ぎて行く。夜中、ふと冷静になると、別にファンでもなんでも無い「さだまさし」のオフィシャルサイトで彼の歌の歌詞を片っ端から読んでたりする。だれか正しい時間の使い方指導してください。

ブッシュパイロット/リューベン&カンパニー

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 中学時代、私は友人と3人でノートを回していた。交換日記とは呼ばず「冗談ノート」と呼んでいた。(随分ストレートな名前だ。)私達はそこに、替え歌やら小説やら漫画やら、思いつく限りの「おもしろいこと」を書いては、次の担当者に回していた。中学生らしいジョーク盛だくさんで、読み返すのがつらいしろものである。しかし、もう20年以上経ち、すっかりほとぼりがさめたので、資料的な観点で読み返した。
 当時作った替え歌の元歌は、その頃よく聞いていた音楽であるはずだった。殆どの歌が、タイトルを聞いただけでメロディが出てくる。しかし、どうしても元歌を誰が歌っているか思い出せなかったものがあった。それがこの「ブッシュパイロット」である。
 誰の歌だか不明のままノートを読み進めて行くと、当時はやっていたと思われる歌のベスト100が書かれた紙がはさまっていた。そして、その51位にこの歌がランクインしていた。歌っているのは「リューベン&カンパニー」である。
 リューベン&カンパニー。
 Charのバックにいたリューベンが人気がでて、リューベンメインで、というバンドだったと記憶している。ドラムを叩きながらもたもた歌うリューベンの姿は、そう簡単に忘れられるものではない。ドラムの実力があったとしても、すべて失墜するような歌唱だ。私は「薔薇の嵐」 という歌は「ばらの、ばらの、あらしさ」という部分を鮮明に覚えている。だが、ブッシュパイロットはあまり記憶にない。かろうじて「ブッシュ、パーイロット」と、サビの部分だけメロディが浮かばないでもない。しかし、全く私の創作かもしれない。
 ちなみに付録として、リューベンもランクインしているベスト100をつけておく。出所が謎だが、ザ・ベストテンでたまに100位まで発表していたものを、一生懸命書き取った、というのが一番可能性として高い。それにしてもいくらそういう時期だったとはいえ、キャンディーズがこんなに入っているのは奇妙だ。実は勝手にわたしら中学生がでっちあげたベスト100なのだろうか?

 ところで、大学の学園祭に「桑名晴子」が来て、とりたててファンでもないが見に行ったことがある。よく見るとドラムがリューベンだった。嬉しかった。

空にはお月さま/「NHKみんなのうた」より

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 「気持ち悪い」というのが、私の記憶に残るか否かのポイントであるのかもしれない。この歌も、当時のみんなのうたの中では群を抜いた不気味さであった。
 「みんなのうた」といえば当時はまだ奇をてらった歌は少なく、学校で習うような歌が多かったのではないかと思う。なぜならば、いつも見ていたはずなのに、殆ど覚えていないからである。
 しかし、「空にはお月さま」は違った。暗いバックにぽつんとドレスアップした少女が立っており、指をならしながらビブラートを効かせた歌唱法で歌っていた。ハミング、もしくはスキャットというのだろうか、その「MUMUMUMU....」も、しっかり発音する独特な歌い方。バックには切り絵のようなアニメーションが歌詞に合わせて浮かんでは消えていく。 当時私は小学校高学年だったと思う。せっせと歌詞を覚え、友人とこの歌を歌い、指をならした。歌詞は「空にはお月さま」「鼻の下にはおひげ」といったように一見何も繋がりのないようなイメージの羅列が歌われていき、次にそれが実はひとつの世界で繋がっていることを示すように、一番最後に登場したものから一つ前のものに作用が及ぼされ、最後に「お月さまも、ゆれたー」としめられる。
 自分で歌うために歌詞を覚えた歌というのはなかなか忘れない。成長しても、頭に歌詞とメロディが丸ごと入っている。この歌も、みんなのうたでレコードになっていたりしないかと何か機会があるたびに探した。1度、違う歌手で録音されているものを見つけたような気がするが、それじゃあ意味がない、と買わなかった。そして、10年くらい前にCDにオリジナルの状態で収録されているものを買った。MUMUMUMU....も、記憶のままであった。

 だいぶ前になるが、ふと見た「おかあさんといっしょ」でけんたろうお兄さんの歌唱でこの歌が歌われているのを見た。みんなのうたで見てから四半世紀もたってから、この歌を子供番組で見ることになるとは思わなかった。この番組のスタッフも、子供の頃歌詞を覚えて指を鳴らしていたのだろうか。

西安の子供市場/「太田蛍一の人外大魔境」より

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 この曲は、「太田蛍一の人外大魔境」というアルバムに収録されている曲である。歌っているのは、ひばり児童合唱団の少年。このアルバムは、小栗蟲太郎の大魔境小説「人外魔境」をモチーフに、太田蛍一が作詞をし、上野耕路が作曲を担当している。
 このLPを買ったのは大学1年の時である。私は大学入学と同時に上京し、アパートでの一人暮しを始めていた。アパートといっても同じ大学の学生(女)が5人住んでいるだけの小さなもので、4畳半の部屋、0.75間の押し入れ、流し台と1口のガスコンロのついている調理場所(0.25間)、そして0.5畳の玄関、という総スペース6畳に、バスとトイレと洗濯機が共同で呼び出し電話、というものである。
 それまで住んでいた家も古い木造家屋だったので、その部屋の窓枠が木で鍵がねじ式であったことも、共同トイレが汲み取りであったことも、風呂場にシャワーがなかったことも、最初は少し驚いたがすぐに馴染んだ。なにより、東京都内で家賃が1万5千円である。これ以上のことはない。
 私はその正方形の部屋で新しい暮らしを始めた。仕送りも少なかったがそんなものだと思っていた。毎日家計簿をつけた。料理のやり方も良く知らなかったので、にんじんとピーマンを刻んで卵でとじてウスターソースをかけて食べるという食事ばかりしていた。その月は食費が1万2千円しかかからなかった。でも、そんなものだと思っていた。

 アルバイトはまだ殆どしていなかったが、家賃が安いので、少ないなりにも娯楽費が捻出できた。「太田蛍一の人外大魔境」はそんな娯楽費を使って買ったLPだ。ゲルニカを聞いていたので、きっとこれも好きな世界だろうと軽い気持ちで聞いているうち、その中に入っていたこの「西安の子供市場」だけ、違う音楽となって聞こえてきた。ゲルニカの時も、このアルバムの殆どの曲も、実体験としてないレトロな感じの模倣として楽しんでいたのだが、この曲だけ、妙に生々しくて心を打たれるのだ。私は他の曲は聞き流し、この曲が始まる時は正座をするような気持ちで耳を傾けるようになった。
 詞は、タイトルが示すように子供達が売られて行くものである。子供達は「ゆかいなおぢさん」に連れられ、「1等良い服」を着せられ、かあさまに見送られ、子馬に揺られどこまでもいく。でも、旅の途中星を見たり、ずっと行った先の事を夢見てはころころでんぐり返ったり、幸せを祈ったりする。
 そのもの悲しい歌詞にもかかわらず、合唱団の男の子の歌唱は何も疑ってない子供のような純粋な響きを持っていた。
 何故、この曲だけ他と全く違ってきこえるのかわからなかった。人外大魔境のアルバム全体の色からも外れているわけでもない。しかし他の曲は旧仮名遣いの冒険小説を読んでいるような完全な絵空事の遊びとして楽しめるのに、この曲はどうも違うのである。  私は、この童謡のようにシンプルな曲を繰り返し聞いた。何回聞いても飽きなかった。終いにはその曲に憑かれたようになり、聞きながら一生懸命歌詞を覚えていた。絶対その歌詞を全部すらすらと思い浮かべたかったのだ。時々ふと思いついたように暗唱しては、忘れていないことを確認して安心していた。

 19年も前になる。私はあの歌を聞きながらその時代を暮らしていた。明りを落として何度も繰り返しLPの針をゆっくり戻して聞いていたあの4畳半の部屋とともに、今でも鮮明に蘇ってくる。

愛は心のフルコース/SHOTGUN

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 確かドラマの主題歌だった。「熱愛一家・LOVE」である。
 簡単に言うと、「サ行変格活用」の歌である。あいせない、あいします、あいする、あいするとき、あいすれば、あいせよ。せ、し、する、する、すれ、せよ。(これは歌詞引用ではなくサ変の例とご理解下さい)
 その後も割と覚えている。そういう場合、何らかの形で最近CDで聞いたりしていることが 多いのだが、恐らくこれは聞いていない。最後に曲名を言うのでタイトルもはっきり記憶している。フルコースぅうううー、と、ふにゃーと下がって行くので、その部分も印象的なのだ。
 中学時代だろうか?あまりにタイムリーな歌だった。その頃は「あざとい歌だ」と思ったけれど、こんなに月日がたってもサ変を覚えさせてくれてありがとう。

 ところで、中学時代は丸暗記をするために、自分で勝手に替え歌をして、歌って覚えたことがあった。ぷちありん、あみらーぜ、まるたーぜ、ぺぷしん、とりぷしん、えれぷしん、りぱーぜ、りぱーぜ。これを長渕剛「順子」のメロディで歌って覚えたのだが、なんだろうこれ、酵素? 早く忘れさせてくれ。

夜へ急ぐ人/ちあきなおみ

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 記憶の断片をたどり、歌を探し当てた、初めての曲かもしれない。
 その断片は次のようなものだ。

 ちあきなおみがその歌を熱唱する。
 山川静夫アナウンサーのような声の司会者が「気持ち悪いですね−、さて白組は…」と受け流す。

 私はその歌に衝撃を受けた。おどろおどろしい形相で歌うちあきなおみの姿と歌。画面の記憶があるのはその紅白だけなので、当時何回程度耳にしたかわからないが、メロディは完璧に覚えいるし、歌詞もサビ以降は完璧に覚えている。それだけインパクトがあったのだろう。子供の私がそれほどの衝撃を受けて聞いたのに、白組司会者が「きもちわるい」と簡単 に片付けたことに憤りを感じたほどだ。
 その歌がもう一度聴きたくて私は、ちあきなおみのベストを一枚買ってみた。しかしそこには収録されていなかった。
 となると、例の記憶。山川静夫アナのような司会者、白組。そういうシチュエーションは、「NHK紅白歌合戦」くらいしか知らない。結局その記憶だけが頼りだった。

 Webなど無かった頃である。私はこの歌のタイトルを調べるため、とりあえず新聞の縮刷版をあたった。ちあきなおみが出ていたと思われる年を探した。そして、彼女が歌った曲の中から、タイトルと歌のイメージが合っていて、さらに、私の持っているベスト盤に入っていなかったものとして、この歌のタイトルの見当をつけた。

 「夜へ急ぐ人」である。

 それからというもの、中古レコード屋に行くと、必ず「夜へ急ぐ人」を探した。店の人に聞けるときは聞いてみた。だが一度も見かけたことさえなかった。そして、夜へ急ぐ人は当時売られていたどのちあきなおみのCDにも入っていなかった。

 そのうち、WWWが普及し始めた。私は「夜へ急ぐ人」で当時あったいろんな検索エンジンを使って検索した。が、何一つヒットしなかった。

 そして、さらにWWWは普及していった。またしばらくして検索した時、その曲について誰かが「気持ち悪い」のキーワードをあげているのを発見した。それを見つけただけで、私はかなり満足していた。

 そうこうしているうち、WWWが爆発的に普及していった。2000年頃である。ちあきなおみファンサイトがぞくぞく誕生し、夜へ
急ぐ人のジャケットまでWEBで見ることができた。 そして、ちあきなおみのBOXセットが発売され、そこに遂に「夜へ急ぐ人」が収録された。私はほとんどその一曲だけのためにBOXを買い、長い間聞きたくてたまらなかったその曲を聞いた。
 記憶の歌詞と比較して見ると、サビ部分曖昧だった箇所を自分で勝手に補完していたことがわかった。しかし、この歌は予想していた以上だった。今聞いてもこのインパクトは相当なものだ。