天使の輪/三田寛子

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 私は三田寛子はごひいきにしていた。ということを初めにお断りしておく。
 彼女が仙八先生に出ることになって雑誌に取り上げられているのを初めて見たとき、「少し変わった顔…」と思った。私が典型的なアイドル顔と思う顔立ちとは違った。少し間延びしている。
 この人はきっとこれからアイドルとしてやっていくはずだ。歌手デビューするかもしれない。でも、そんな華やかな世界でやっていけるんだろうか?
 仙八先生はさとう宗幸という人が苦手でたまにしか見なかったが、チラッと見た限り、役どころは彼女にあっていて、確かに他の生徒から比べたら美人であるような気がした。ほかの生徒に問題があるのかもしれないという気がしないでもなかったが、美人という設定は無理がある感じはしなかった。
 一言で言うと、彼女は地味である。三田寛子、というのは芸名であるのに、とても芸名とは思えない地味さである。よく、「陰気」という言葉を当てられていた。だが、「モモエ路線」と言われる人とも少し違っている。三田寛子は威嚇してこないし、ぜんぜん怖くない。
 クラスか学年に一人はいるかわいい子、と言われるアイドル(おニャン子クラブやモーニング娘。のような)はたいてい雰囲気が明るい。知的な優等生タイプ、といわれる人は、髪の毛が長い、もっとわかりやすい美人だ。
 じゃあ、三田寛子は?
 私は彼女は、「いじめられやすい優等生タイプ」だと思った。ドラマの役と同じか?単純…
 そういうタイプの人は、どうもほうっておけない。私は、応援せねば、と思った。

 歌を聴いた。「駆けてきた処女」。
 レコードジャケットが素晴らしい。三田寛子はこうでなければ、というジャケットである。
 歌唱のたどたどしさも、ちょうどいい。何回も聞きたい歌ではないけれど、三田寛子が歌を出すならばこんな感じ、というイメージどおりの歌だった。
 デビュー曲と同じ阿木燿子・井上陽水によるセカンドシングル「夏の雫」は、デビュー曲以上に好きだった。歌唱力のあるなしに関係なく、面白い歌が歌えるのだ。「曲に恵まれる」ってこういうことか、と思った。逆に、三田寛子はどうがんばったってインチキ井上陽水風に妙な抑揚をつけて歌うこともない、そういう意味では安心して聞けて、よかったかもしれない。しかし、それ以降はカバー曲や陰気な歌、歌唱力がないときつい歌、などばかりで、残念でした。

 仙八先生のあとに出演したドラマNHK「いつか来た道」はとてもよいドラマだった。親とドラマを見るのはいちいち途中でコメントが入ってうるさいので、こそこそとテレビを自分の部屋に運び込んで見ていた。ドラマの内容はかすかにしか覚えていない。戦争のころ国広富之に恋心を持つような話だったかな。アンハッピーエンド。とにかく、一番最初に「三田寛子」の名前が出たときに「じーーん」としたことと、最後に三田寛子が厳しいちょっと暗い顔で歩いていたシーンがあったことはよく覚えている。もちろん、「激愛、3月までの…」も見た。ノーコメント。

 さて、応援していたからこそ、私は評価は厳しかった気がする。初めて見たとき硬直してしまったのが、「天使の輪」である。何で三田寛子をこういうシャンプーの有名シリーズに持って来るのかー。彼女はもっと使い方があるだろうがー。つくりゃいいいってもんじゃないんだ。輪を。