西安の子供市場/「太田蛍一の人外大魔境」より

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 この曲は、「太田蛍一の人外大魔境」というアルバムに収録されている曲である。歌っているのは、ひばり児童合唱団の少年。このアルバムは、小栗蟲太郎の大魔境小説「人外魔境」をモチーフに、太田蛍一が作詞をし、上野耕路が作曲を担当している。
 このLPを買ったのは大学1年の時である。私は大学入学と同時に上京し、アパートでの一人暮しを始めていた。アパートといっても同じ大学の学生(女)が5人住んでいるだけの小さなもので、4畳半の部屋、0.75間の押し入れ、流し台と1口のガスコンロのついている調理場所(0.25間)、そして0.5畳の玄関、という総スペース6畳に、バスとトイレと洗濯機が共同で呼び出し電話、というものである。
 それまで住んでいた家も古い木造家屋だったので、その部屋の窓枠が木で鍵がねじ式であったことも、共同トイレが汲み取りであったことも、風呂場にシャワーがなかったことも、最初は少し驚いたがすぐに馴染んだ。なにより、東京都内で家賃が1万5千円である。これ以上のことはない。
 私はその正方形の部屋で新しい暮らしを始めた。仕送りも少なかったがそんなものだと思っていた。毎日家計簿をつけた。料理のやり方も良く知らなかったので、にんじんとピーマンを刻んで卵でとじてウスターソースをかけて食べるという食事ばかりしていた。その月は食費が1万2千円しかかからなかった。でも、そんなものだと思っていた。

 アルバイトはまだ殆どしていなかったが、家賃が安いので、少ないなりにも娯楽費が捻出できた。「太田蛍一の人外大魔境」はそんな娯楽費を使って買ったLPだ。ゲルニカを聞いていたので、きっとこれも好きな世界だろうと軽い気持ちで聞いているうち、その中に入っていたこの「西安の子供市場」だけ、違う音楽となって聞こえてきた。ゲルニカの時も、このアルバムの殆どの曲も、実体験としてないレトロな感じの模倣として楽しんでいたのだが、この曲だけ、妙に生々しくて心を打たれるのだ。私は他の曲は聞き流し、この曲が始まる時は正座をするような気持ちで耳を傾けるようになった。
 詞は、タイトルが示すように子供達が売られて行くものである。子供達は「ゆかいなおぢさん」に連れられ、「1等良い服」を着せられ、かあさまに見送られ、子馬に揺られどこまでもいく。でも、旅の途中星を見たり、ずっと行った先の事を夢見てはころころでんぐり返ったり、幸せを祈ったりする。
 そのもの悲しい歌詞にもかかわらず、合唱団の男の子の歌唱は何も疑ってない子供のような純粋な響きを持っていた。
 何故、この曲だけ他と全く違ってきこえるのかわからなかった。人外大魔境のアルバム全体の色からも外れているわけでもない。しかし他の曲は旧仮名遣いの冒険小説を読んでいるような完全な絵空事の遊びとして楽しめるのに、この曲はどうも違うのである。  私は、この童謡のようにシンプルな曲を繰り返し聞いた。何回聞いても飽きなかった。終いにはその曲に憑かれたようになり、聞きながら一生懸命歌詞を覚えていた。絶対その歌詞を全部すらすらと思い浮かべたかったのだ。時々ふと思いついたように暗唱しては、忘れていないことを確認して安心していた。

 19年も前になる。私はあの歌を聞きながらその時代を暮らしていた。明りを落として何度も繰り返しLPの針をゆっくり戻して聞いていたあの4畳半の部屋とともに、今でも鮮明に蘇ってくる。