ずっと好きでいること ー 夜よ踊れ

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3つ書きたいことがあったのに、そのうち目の手術の件を仕上げて満足し、ほかの2件を保留したまま月日が過ぎてしまった。

書きたいことが増えて、その2件とどちらを優先したら良いのかもうわからない。

とりあえず書いておこうかなと思うのは、しばらく前に娘(19歳)に言われた言葉。

「ママって、1つのことずっと好きだよね。そこは信頼できる」

あら、どうもありがとう。と思っていいものかどうかわからなかったけど、褒め言葉だよ、とわざわざいうので素直に受け取った。

おそらくそれはNEWSの載ってる雑誌を買ったか加藤さん単独の何かを見せびらかしたかの時だと思う。ここにはしばらく書いてないけど、相変わらず私はNEWSを聴いているし、関連した品を可能な範囲で購入しているし、加藤さんの出演するビビットは毎週録画して全部残している。見ているかというとそうでもないが。

ジャニーズアイドル界隈に詳しくなっていろいろレンタルして聴いても、結局NEWS以外に心動かされることはなかった。こやしげテゴマスの声質や歌唱力バランスや歌割りなど、私が面白いと思うのはジャニーズ共通のものではなくNEWS独自のものなのかもしれない。

実はエプコティアツアーはちょっとした事故で行けなかった。1度も行けなかったのは聴くようになってから初めてで、仕方ないからDVDを極力ネタバレなしで見たい、と、最近は情報収集を控えていた。

情報収集をやめても、私がブログに書かなくても、私が呟かなくても、人気者のNEWS はそこにいたからね。

でも、先月嫌なことが起こった。誰かを応援することにある種の危うさがあることは経験上分かっていたけれど、それが現実になってしまったということだ。ただ、今回の件はTwitterで最初から見ていて、発生からの過程と、その構造自体が恐ろしくてしかたなかった。こんなことでこうなってしまうなら、もう、どこにも安心なんてないじゃないか。

ネットで罵倒する人たち、説教する人たち、嘲笑する人たちを静観しながら、彼らが積み上げた成果がこれで上書きされるのは切ないなあ、と、陰鬱とする。とりあえず、見るべきでない中傷が見えないように対策をとる。恐る恐るファンの様子を伺う。それを見ながらさらに鬱々とする。

私が好きな彼らはこの子達が罵る人と同じなのだろうか。おそらく摂取し消化して作り出したイメージは、私という人間の発想の枠組みで解釈した私の頭にだけあるもの。それが今回の件で崩壊してしまったのならまた違った感情を抱き、これだけ怒れるんだろうか。いや多分私は今回の件を、許す許さない、呆れる呆れない、とかそういう次元で捉える年齢はとっくに過ぎている。そんな感情を持てるほど青臭くいられない。

人の呟きばかり観察していた私も、何か書くか、とこんな内容をメモした。

"君たち、せっかくいいところなのに、ちょっとポンコツだね。でも、君たちがあまりにも頑張り続けたものだから、ポンコツさに惹かれたのがきっかけだったことをすっかり忘れてたな。"

でも、読み直して書き直す。

"いろんな人のいろんな意見や罵りを読んだ。私はずっと頑張ってきたいい大人に説教めいたことを言えるほどに立派じゃないんだよなあ。もっとちゃんとしないとなあ。今日のハンバーグもボロボロだよ。 "

体がふわふわするような経験のない不調が続いて、ああ、これが噂の更年期障害なのかな、などと医者に行った。少し控えていたものを取り戻すかのように、NEWS関連の雑誌を買い、本を買い、書いてあるものを隅々まで読んだ。散歩を名目に近所の神社に行っては「NEWSが無くなりませんように」とお祈りをした。芸能界という特殊な世界でいろんなプロジェクトに関わっている彼らが負担しなくてはならない損失を最小にしてそれ自体を継続させていってくれること、周りにいるプロたちが最善のサポートをしてくれること、そして、彼らの今回の出来事に便乗して一儲けしようという大人や、バズる快楽に溺れる下品な有象無象が少し静かにしてくれますように、なんて、神社に行って祈るしかないじゃないか。

幸い無事発売されたBLUEは好きな曲だった。特に、通常盤に収録されていた「夜よ踊れ」は、いつも歌割のことばかり気にしている素人の私の想像など軽々と超えてきた。年齢とともに、何を聴いても過去曲をとの類似を探すAIのようになっている自分にうんざりだったのだけれど、「夜よ踊れ」は聴き終わって軽いショックを受け呆然とし、何度も聴いて歌割りを確認していた。

4人になってリリースした当初は声の組み合わせのバリエーションが少ないとか、歌割りのパターンが見えてしまう物足りなさが無いわけではなかったけれど、ここ数年間はいろんな歌割りに挑戦したり歌い方を変えたりしているのか、声が足りないなどとは思わなくなっていた。

そして「夜よ踊れ」は、安定しつつあったパターンを破壊して、それぞれの声という武器を余すことなく使い「美と狂気を感じる曲」に仕上げられていた。何度も聴いた。聴くたびに発見があって飽きることがなかった。

そうか、彼らの歌はこういう域に来ているんだね。

面白いなあ。素晴らしいなあ。

薄く氷が張っているその下にまだピラニアに似た気味の悪い魚が見えるような不安は残っているが、私自身に生じた体の不調はいつしか消えていた。

「ママって、1つのことずっと好きだよね。そこは信頼できる」

そうだね。多分ずっと好きでいると思うよ。