そして透明になった

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左目の中はすっかり透明になった。邪魔だったガスだけでなく、子供の頃からの強い飛蚊症で見えていた糸くず状に動く影も見当たらない。このようなクリアな世界は生まれて初めてな気がする。

小学生の頃、目を細めるとミミズのようなものがたくさん見えることを母親に強く訴えた。それらは視線を動かすと見た方向へ動く。目を細めず普通にしていても、その影が動くのがわかって気持ち悪かった。

同じ頃視力も落ちたため、私は眼科に連れて行かれた。母親は言いにくそうに、この子がこんなことを言うものでして、と遠慮気味にその話をする。医者は、「おかあさん、本当に見えるんですよ」と言った。私はそれを聞いてほっとした。

その時だっただろうか。私は、飛蚊症という呼び名と、特に心配はないことと、それは治療で消えることはなくずっと見え続ける、ということを知った。子供なりに、軽い絶望はあったと思う。一生それがあるということをイメージできてはいなかったけれど、大人の言うように「気にしない」ことなどできるのだろうかと思った。こんなに鬱陶しくて邪魔なのに。

急に増えたら医者に行くように、とか、年に一度は診察を受けるように、とか、いろんな場面でいろんな眼医者に言われつつ、それはいつも大量に目の中にあった。理科の授業で顕微鏡を覗いたとき、スキー旅行で一面銀世界になったときなど、それは存在感を強くした。私はよく自ら蛍光灯の光を目を細めるようにして見て、何層にも存在するそのミミズの量と動きを確認した。年を重ねるたび、それは増え続けていた。

そして50歳を過ぎた一昨年、急に今までとは違う濃い飛蚊症の症状が出たのをきっかけに、網膜裂孔、黄斑前膜、そして、黄斑円孔、手術。最後に出現した濃い影は本当に邪魔だった。それがあっさり消えてしまう日が来るとは。でも、長年煩わしかったものが無くなって嬉しいはずなのに、感情はちょっと違っている。

右目は変わらず黒い影がうねうね動いている。邪魔といえば邪魔だけれど、それ以外を知らないで生きてきた私にとっては普通のことだ。でも、その影が綺麗に消えた左目は、歪みと、見えない箇所がある。白内障の手術の副効果で色調も、若干変わってしまっている。

どちらがいいかと聞かれたら、迷うことなく歪みのない右目を選ぶ。

でも、これがもし逆で...、つまり、子供の頃から中央部が少し歪んでいるけどクリアな景色に慣れていたとして、いい大人になってから、歪みはないけれど大量のミミズのようなものが蠢く目を与えられたら、どちらを選んでいたんだろう。