退院して出勤した頃には目の中のガスは抜けきっておらず、左目の下の方にそれがまだあった。
だいぶ減ってくると、境界線は水平線ではなくなる。目が球体であることなど普段意識することなどないから、だんだん境界線が曲線になるのは変な感じがした。それは少なくなればなるほど透過しなくなり、左目の下方を覆い隠すじゃまな存在になっていた。私は下りの階段に注意しながら通勤した。
仕事中ずっとパソコンを見ていなければならない。職場の人に目の状態を聞かれても、はい、すっかり回復しました、と答えるのは難しい。相変わらず歪みはあるし、真ん中に少しだけ見えないところもある。
まあまあですかね。
そう答えることくらいはできる。
手術前に受けた説明で、視力はゆっくりと何ヶ月もかけて回復すると聞かされていた。それこそ「日にち薬」なので、私は信じるしかない。歪みは治らないにしても、目の中心部にある少しだけ見えないところはいずれ見えてくるのではないだろうか、と期待だけはしていた。
それでも、職場のパソコンを見たり、本を読むのは手術前より楽になった。左目は白内障の手術のせいで老眼が進んだ状態になってしまったので、今までと同じ眼鏡では文字がぼやける。つまり、左目の異常な映像にぼかしがかかり、歪みが邪魔をしなくなった。結果、正常な右目だけで読めて楽になった、というようなことなのだが。
本を読むために俯くと、左目の下の方にはまだガスが見える。ちょうどその頃私は読みたい本があり(「チュベローズで待ってる」という本なのだが)、慣れない視界のまま読書を始めた。本がどんな風に見えていたのかは今となっては思い出せない。結局文字が読めさえすれば、見え方関係なくその世界に没入できるということはよくわかった。
ガスが少なくなると、真下に見える円状の影、になり、手術から2週間近く経つ頃には「小さな粒」になった。粒が、私の動きに応じて相対的に位置を変える。私の眼球の絶対的な真下を指す印として、それはそこにあるかのようだった。(と言っても、実際は真上なのだが。)
一定の量でガスが抜けているからか、あと少し、と感じてからの変化のスピードは早かった。粒、と認識した日の翌朝には、それは消失した。
ああ、消えた。
目の中のガスを観察した日々が終わり、歪みと暗点を観察する日々が始まる。
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