平成最初の日のこと

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平成が終わって令和になるということで、テレビが特番などを組んだりグッズが売られていたりする。祭りっぽくて楽しげだ。一応、昭和から平成になった時も知っているので経験者ヅラして余裕ある感じで興味なさげにしてはいる。元号が変わることに伴っておかしなパッチの配布があって混乱しないといいですね、なんて、わかったようなことを言いつつ。

でも、先日職場でその「平成になった時にすでに大人だった件」を若い人と一種の自虐ネタのように話していた際、平成になった時自分が何をしていたか、といった話になり、咄嗟に「私は確かスキーに行っていた」と答えた。自分がスキー場で平成になったことを知らず滑っている光景が、一瞬脳裏に浮かんだからだった。

その場はそれで笑って終わったけれど、よく考えてみたらおかしい。

その日、私がスキーに行っているはずがない。なぜなら、【昭和6418日】の相撲の枡席のチケットを持っていたのだから。

私にとっての平成の幕開けは、「相撲にいけるのか?」「苦労して買ったこのチケットはどうなるのか?」と、ただひたすらハラハラしているもののはずなのだ。

昭和天皇崩御は結局昭和6417日で、18 日は平成元年になるとともに、大相撲は中止になった。初場所は一日遅れで開催され、私の持っていたチケットは 123日(月)に振り替えられた。図らずして私は、当初チケットが取れなかった千秋楽を見に行くことになった。

この話は、今まで何回話したかわからないくらいのエピソードであるのに、何故私は自分がスキーに行っていたと思ったのだろう?

あの時、ふと脳裏に浮かんだ「元号が変わったのを知らずにスキーをしている人のイメージ」をよく吟味すると、滑っているのは私でなくて、おそらく私があの頃仲良くしていた友人だ。私はそれを実際見たわけではなくその子にあったときに聞いて、一緒に笑ったのだと思う。そして、その時思い描いたイメージが、何故か強い記憶として刻まれたのだった。

私は、自分が相撲を見に行けるのかどうかだけを気にして、自宅のテレビの前で天皇陛下のご病状を見守っていたに違いない。新しい元号になるとか歴史が動くとか、それこそ昭和天皇を思いやるとかそういうレベルにはない。言いたいこともやりたいことも我慢しているような混乱・自粛・追悼ムードの中で元号が変わり、私の唯一の関心事の相撲のチケットは千秋楽に振り替えられ、言わないけど本音は少しラッキーに思った、という、そんな平成の幕開けだったはずだ。

だから、私はそんな自分より、自粛関係なくスキーを楽しんで世間が大騒ぎしてたことも気付かなかった、という、その友人らしいエピソードが好きすぎて、その中に自分も一緒に居たかったのかもしれない。

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