おばさんの悩み

 私はわりと毛深い。幼稚園児の頃からそうだった。自分の腕が他人と違うのが気になって母親に尋ねると、「大人になれば直る」と言われて、素直に信じていた。でも小学生になってそのことでからかわれたので、もう一度尋ねたら母親は、「大人になればストッキングをはくからわからない」と言った。じゃあ腕はどうなるんだと聞くと、「お母さんは知らない」とつっぱねた。私はその時、この毛は一生はえたままなんだと悟った。
 毎年夏が来る度、私は母親と大ゲンカをするようになった。私は一年中長袖を着て腕をカバーしたい気分だったので、半袖を着せようとする母親に隠れて長袖を着て出かけていた。ある時、母親の着せた半袖の服を隠れて脱いで、長袖のブラウスに着替えたところを見つかったことがある。追いかけられて、叩かれて、それでも脱がないでいたら母親の怒りは爆発した。「いいかげんにしなさいっ」という声とともに、私のブラウスの片袖は袖ごと引きちぎられ、もう片袖は破かれてしまった。当時私が一番気に入っていたブラウスだった。私は泣いた。母親は、「反省してなさい」と言って去った。私は反省はしなかったが、その日から素直に半袖を着るようになった。母親は、ごほうびとしてあのブラウスを直してあげると言った。でも、ブラウスのちぎれた袖は、妹がそれを使って人形の洋服を作ろうとしたためにボロボロになっていた。母親は約束した手前困ったのか、チロリアンテープでつぎはぎをして完成させた。その不気味な民族風ブラウスを抱え、私はもう一度泣いたものだ。
 そして今、私は20才で毛深いことは変わらない。でも昔と違って、いろんな経験を積んで来ている。小学生の時は、小学生雑誌の悩み相談コーナーに、毎年一つは「毛深い悩み」というのが載っていて、そこに答えを求めていた。一般的なのは「オキシフルで脱色する」というものだった。中には、「きゅうりの輪切りを置くと良い」というのもあったが、私は試さなかった。当時の私にとっての最大の問題は、「剃ると濃くなるか」ということだった。そると、母親に怒られた。「剃ると濃くなってひげになる」というのが母親の持論で、「テニスをしていた、手足がひげの女の人の話」や、「着替えていた、手足がひげの女の人の話」というのをよく聞かされた。そして、「手足を出して元気よくすれば、日焼けもするし、擦り切れる」と続いた。その「擦り切れる」というのをヒントにした「軽石でこする」というのが、中学一年生の時、毛深い女の子仲間ではやったことがある。お風呂で簡単にできるが、あれはその時は少しも痛くないのでこすりすぎて、あとで腕がかさぶただらけとなり大恥をかくのだ。当時は腕を見せ合って苦笑いをしていた。
 その他にも、いろいろな方法を試した。夏が来ると、いろいろと対策を練り始めるのだ。スーパーの脱毛用品コーナーには品が並び、コンビニエンスストアにもむだ毛脱色剤が置かれて、ああ、季節だなあ、と思うのである。

 私は、そのデパートで買うのは初めてだった。でも、明日からテニスサークルの合宿なので、どうしても今日中に手足をなんとかしなければならない。三階の化粧雑貨コーナーにはたいてい置いてあるはずだから、私は何の疑いも持たずにそこへ行った。予算的に、脱毛テープが二つは買える。一つを買い置きにするつもりだった。
 三階は人もまばらで、買い易そうだった。別に恥ずかしいものでもない気もするが、20才にもなればもう腕を見せ合って笑ったりはできない。
 たぶん化粧品とかみそりの間くらいに置いてあるという予想をたて、私は迅速に行動した。予想通りの場所ではなかったけれど、案の定、季節柄、大きなコーナーが設けられていた。そしてそこには私が愛用しているメーカーのものもあった。いろいろ品物が取り揃えてあるので目移りしていると、後ろから人が近づいてきて私に話しかけた。
「どう、いかがですか?」
振り返ると、そこには店員風のおばさんが立っていた。私はこういうデパートでこれを買う時に声をかけられたのは初めてだったので、焦った。万引きの疑いでもかけられたのだろうかと思った。そのおばさんはにこにこしながら言った。
「それ、案外いいんですよ」
 私が手にしていたのは脱毛ワックスだった。おばさんは脱毛ワックスの説明を始めた。もちろん私は全部知っていた。
「これはね、中に、ナベとワックスが入っているんですよ。ナベごと火にかけて、ワックスが溶けたら火からおろして、少し冷めたら手に塗るのよね。するとほら、毛を覆うわけだから、そうして固まったものをはいだらね、きれいになるわけ。根元から抜くから長持ちするし、ワックスは何回も使えるし、何回も抜いてると、うぶ毛になっちゃうの」
 私は知っている。嘘だ。何回抜いたってうぶ毛になんかならない。同じ毛が変なはえ方してくるだけだ。ワックスには思い出がある。塗ってから時間を置きすぎて、こびりついてしまって、取る時にひどく痛かった。毛の埋め込まれたワックスの醜さといったら。あんなものをとっておいて溶かして二度使う奴の顔が見たい。
「あの、じゃあ、これなんかどおー? 脱色して目立たなくできるの。あ、脱毛のやつがいいわけ? そうよねえ。除毛剤とかより、脱毛の方が絶対いいわよね。脱毛だと、うーん、やっぱりワックスとか、ゼリーとかあるけど。あ、これこれ、テープはなんかどう?これ、知ってる? 背中に湿布とかして剥ぐ時、うぶ毛なんかが全部ぬけちゃうでしょ。その原理なんだけど。ワックスより安くて手軽に使えるわよ。特に、このメーカーのやつはよくとれるの。ほら、これ見て」
 そう言っておばさんはそのコーナーの陰からすっと何かを取り出して私に見せた。私は、それを見て絶句した。
 それは、濃い毛がぎっしりとはりついた脱毛テープの残骸だった。こんなすごいものは見たことがなかった。こんなに毛深い人にも会ったことがなかった。私は動揺を隠しきれず、おばさんを見た。おばさんはにっこり笑った。
「すごくよくとれるでしょ。ほらこの右手見てみて。このテープのおかげですっかりきれい」
 私はしばらく腕を凝視して、そしてその後に脱毛テープ3個を手にした。おばさんは喜んで、おまけと言ってはいろいろな物をくれた。組み立て式の貯金箱、アドレス帳、そしてティッシュ一個。私は丁寧にお礼を言った。おばさんはテープの残骸を元に位置に片づけてから、その場を離れた。 


第19回エンピツ賞佳作の作品。

この話は前半も後半も実話です。私にとって、それだけは価値、という作品。
今なら「オキシフル」と「きゅうり」じゃなくて、「ムヒ」と「豆乳」になるのかな。