グリーンマイル

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11月の上旬、私はずっと楽しみにしていた「グリーンマイル」の舞台を観ることができた。京都劇場は京都駅に隣接している。そのアクセスの良さに助けられた。私が当たったのは平日の昼の部だったので、特急に乗れば下の子の帰宅に間に合う時間に帰ることができる。日常を壊さずにシレッと非日常の特別なイベントを組み込めるなんて素晴らしいじゃないか。

私は映画は見ておらず、舞台が決まってから小学館文庫上下巻の原作を読んだ。読んだ頃は、目の状態は良くはなかったけれど、まだ両目で読めていた。血生臭く重たい話だったが、ファンタジー要素は読み手に対する救いになっていたし、何より展開が気になりすぎて、目の調子の悪さを忘れて読み耽った。
刊行された時のように6分冊で読むのもいいのだろうけど、私の買った小学館文庫はAmazonのレビューにもあったが表紙のイラストが素敵なのだった。読み終わって再度眺めると、ほとんど辛い人生の記憶を一片の楽しかった思い出で埋めることができるような...幻想を抱く。
私があらかじめ原作を読んだのは、最近自分のリアルタイムでの各種処理能力に全く自信が無いからだった。目だけではなくて脳も、集中力という面でも。原作を読んでおけば処理能力を予備知識で補える。横の席に座る娘が理解できなかったところを解説するくらいの余裕を持って観劇できるはず。私が気にかければ良いのは「どう舞台化するのか」という一点だから。
でも、そんな心配は杞憂に終わった。始まる前は横の席で「どんな話〜?シゲの舞台だってことしか知らない〜」と、同行した友だちに無知自慢をしていた娘も、見終わったあと「めっちゃよかった、感動した、泣いた」と言っていたので理解していたと信じたい。
実際とてもわかりやすい舞台だった。舞台化するために絞り込まれたエピソードは無駄がなく、模範解答のようだった。そしてわかりやすさの一つの要因はコーフィーのキャスティングで、把瑠都の佇まいは善人以外の何者でもなかった。言葉やエピソードでの説明が無くても立ち姿と声の響きで彼の心の美しさが伝わってくる。
加藤さんも体を大きく作り上げ、看守を演じきっていた。過剰に芸達者すぎない嫌味のない演技も真面目で誠実な看守らしさとなっていたし、ともすれば延々と説明している人になってしまう長台詞も、一切違和感を覚えることなくすんなりと頭に入ってきた。
他の方々の演技も素晴らしく、それぞれの個性が粒立っていた。原作を読んでどう実現するんだろうと思っていた美術的な部分も、さすがと思うところが多かった。わかりやすいけれど原作をなぞっただけのような薄い舞台とは全く違って、原作の厚みが丁寧に舞台化されていると思った。
ただ、やはり原作を知っているからか、整然とした美しさが輝きすぎていて、血生臭く薄汚く残酷でグロテスクな部分に対する物足りなさを感じたことと、わかりやすい脚本であるが故に、その問題提起という意味あいでの言葉の強さが印象に残りすぎることに、違和感を覚えたことも一応書いておく。
とにかく幸せな非日常だった。チケットが当たったことに心から感謝。
以下余談。
久しぶりの観劇だったのだが、そこまで舞台と距離があったわけではないのに、目のせいでよく見えなくなっていることが衝撃だった。その頃左目はおそらくまだ穴が開く前だったはずなのだが。いろいろと、歳をとることの寂しさを感じた。観劇って立体視なんだなあ、と当たり前のことを実感する。