京都国立近代美術館の「藤田嗣治展」へ行った。絵画展に行くのは何年ぶりだろう。奈良で暮らすようになってから一人で自由に行くのはかなり困難になり、嫌がる家族と一緒に行くなら行かない方がいいと思って過ごしてきた。今回は、何か拘束を与えないとまた行かないんじゃないかと思い、わざわざ前売りを購入して、絶対行くように自分にお膳立てをした。そして、仕事を休んで行ってきた。
会場に着いたのは朝10時頃。入り口で並ばされることも無く、中の客数もそこそこで、普通の展覧会のような雰囲気だ。平日、それも水曜日だってのが良かったんだろうか。横にいた他の客も「友達は二時間並んだそうだ」というエピソードを語って自分たちの幸運を喜んでいた。
NHKの番組でも見ていたのである程度の予備知識はあった。実物を見るとその「乳白色の肌」ってのはやはり独特の透明感がある。特に、背景も何も書き込まれていないその乳白色の中に浮いているような人物画があって、それにすごく魅かれた。あと、猫。私はネコ好きではないので、特にネコ部分に感応しないのだけれど、将来ネコ好き老婆になって、再度この人の絵を見てみたい。
日本に戻ってからの絵も素材からして面白かった。戦争記録画も迫力があった。全く画風が違うけれど、 どの時代も魅力的な絵を描いた人だ。私は強いていうなら戦争記録画以降のパリに戻ってからの雰囲気が好きかもしれない。
やはり順番を追って一人の人の絵をたくさん見ていくと、人の人生ざっと眺めたような気になる。何だか知らないが、最後の「みんなおんなじ顔した子供らが遊んでいる絵」を見て、急に泣けてきた。テレビで見たときは気持ち悪いと思ったんだけど、その架空の子供たちを一堂に会させて遊ばせてる絵を年取って描いてるってことに、なんだか切なくなったんだろうか。自分でもよくわからないが。
図録を買った。家に帰ってみてみると、絵画展の図録は一番最近買ったものが1998年だった。
21世紀、初、か。
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