布団がふっとんだ

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 「もっと脳を鍛える大人のDSトレーニング」で、時々「ダジャレ」を考えて書かされる。ダジャレ、も脳を鍛えるらしい。
 何でだか知らないが、職場では私より年上のおじさんたちはダジャレを言い、年下の若者たちはダジャレを言わない。いったい何歳からダジャレを言うようになるのか、というのが職場で話題になったことがある。ダジャレ世代というのがあってそれが持ち上がっていくので、若者たちが40代のおじさんになる頃にはダジャレを言わない説や、やはりどこかでダジャレを言いたくてたまらなくなる年齢っていう、ある種の曲がり角がある説、諸説飛び交う。
 みんな口々に自分の父親はダジャレを言う、といっていた。中には、全く父親がダジャレを言わないという人もいた。それを耳にする環境にいなければ、「二つの言葉を直ちに連想して文にする力」と、「それを言い放つ力」は身につかないような気はする。
 DSで出題されてしぶしぶ考えてみたが、実際、とっさに出てこない。特に「文房具でダジャレ」が全く出てこなかった。苦し紛れに書いたのが「このエンピツひゃくえんぴつ」。あまりに低レベル。「学校にあるものでダジャレ」で「チョークが折れてチョー悔しい」というのが意外にすらすら出てきたので驚いたけれど、あとで家族(小学生)が同じダジャレを言っているのを聞き、あーそういやこの子がよく言ってたやつか、と気がつく。
 どうも、和田勉と萩野アンナのイメージがあって、どこかでその能力、不要、と思ってるような。